長岡花火2022
今週、私には大事な大仕事がありました!
それは夫の両親を初めて、長岡大花火大会に連れていくこと。
82歳の義父と78歳の義母。
二人ともまだまだ元気だけれど、義母はこのコロナ禍の巣ごもりですっかり足が弱って、立ったり座ったりがだいぶ大変そうになってきました。
来年、二人が行ける保証はない。連れて行くなら今を逃してはいけない気がして。
今年はコロナ禍に配慮して、河川敷の花火会場は全面予約席。しかも、市民優先予約枠を大幅に増やしたから、いつもなら徹夜で予約する人もいるほど取りずらい予約席が今年は取れるかも!
そう思って応募したら、ラッキーなことに当選😆
「いやぁ、行きたくないって言うんじゃあないの?」と若干、面倒くさそうな夫を説き伏せ、両親を誘ったら、行くと言う。
あとは、河川敷までどうやって二人を連れていくかだけ。
何十万人と集まる花火大会だから、会場までは車は入れられない。公共交通を使っても、公式駐車場を使っても、どうしたって30分くらい歩かなきゃならないけど、義母をそんなには歩かせたくない。
普段、我々だけなら自転車だけど、義父と義母には当然、自転車は無理😅。
タクシーだけは、特別レーンがあって河川敷近くまて入れるけれど、駅のタクシー乗り場は、30〜40分待ちで長く立っているのが難儀な義母には無理。
タクシー会社に配車の予約が出来ないかと前もって問い合わせたところ、
「花火大会の日は予約は受けられません。ただお時間の約束は出来ないけれど、お電話もらえれば必ず配車します。」
とのこと。よし、これだ!
ところがですよ😳❗️
我が家が座席を予約した8月3日は、なんと雨予報が出てるじゃないですか。
花火大会は多少の雨でもやるのですが老親に風邪をひかせたら大変…。
しかも、朝起きたら既に雨…。
朝から、職場では皆が雨雲レーダーをチェックしまくり😅。だけど、令和の世の高性能予測は夕方から間違いなく雨で、しかも強い雨の予報。日中は晴れ間も出てるのに…。
なんとか今日だけ、予報よはずれて!
祈る気持ちで、いや、ずっと祈りましたよ。
この街に就職して早28年。初めて両親を招待したのに。花火大会で雨が降ったことなんてほとんどなかったのに、なんで今日😭。
祈りながら仕事を終えて自宅に戻って18時。
幸い、まだ雨は降っていない。
花火会場で食べようと思っていたお弁当やおにぎりも雨が降ったら大変だから、とにかく家で食べてもらって、私はタクシーを呼ぶ。
ところがですよ😳❗️❗️
5社あるタクシー会社。どこも電話に出ないじゃないですか😱。
30分かけ続け、ようやく繋がったタクシー会社に「今日は花火大会ですから、配車は無理ですね。街中流しっぱなしですから。」と😱😱😱。
花火大会は19:20から。この時既に18:45。
もうタクシーはあてに出来ない。
と言うわけで作戦変更。
幸い夫が早く帰って来れたので、自家用車で出発することに。
夫と両親、次男を出来るだけ河川敷近くまで送って、私は自分の職場の駐車場に車をとめ、そこから歩いて25分かけて会場に向かうことに。
私が聞いたタクシー会社が悪かったのか…。
ダメならダメって、最初から言ってくれたら良かったのに。
そんなこんなで色々ありましたが、幸い予報が外れて、雨もほんの少し当たった程度。
これは本当に神様に感謝しかない🥲。
おりしも、別の地域が豪雨災害に見舞われていた日に、まさか予報が外れるなんて。
なんとか義両親に長岡花火を見せることができました😮💨。一世一代の親孝行、無事終了。
本当に良かった。両親も河川敷で見る大迫力の花火をとても喜んでくれました。
長岡花火は日本三大花火と言われる自慢の花火だけど、実は空襲で亡くなった人たちを慰め、復興を祈願するために始まった祈りの花火。
その後、2004年の中越大震災の後には、災害復興を祈って、復興祈願花火フェニックスが生まれて、長岡人にとって花火に込める想いは一段と深くなりました。
何度も困難に見舞われ、そのたび復興を成し遂げてきた長岡の、祈りと希望と決意の花火。
戦後一度も中止したことがなかったこの長岡花火が、まさかのコロナ禍で一昨年、昨年と中止。
今年の三年ぶりの打ち上げは本当に悲願でした。
復興祈願花火フェニックスを三年ぶりに見た時にまた私たちは立ち上がれるんだと勇気が湧いた。
長く続くコロナ禍、ウクライナへの侵攻、世界情勢の不穏な動き、それに付随する物価や燃料、資材の高騰。私たちはいまだ困難に立ち向かう日々にいる…。
けれど、長岡の人たちは何度でも復興を成し遂げてきた。生きていればなんとでもなる。
負けるな。
なんとかなるし、なんとかするのは自分だ。
この花火は平原綾香さんのジュピターとともに打ち上げる。中越大震災の時に、地元のラジオ局に繰り返しリクエストされたのがこの曲だったから災害復興を願って始まったフェニックス花火には、ジュピターが使われている。
17年立つけれど、この曲を聴くと今もあの頃を思い出すのは皆同じ。
