5月30日(日)

昨日は3月で退職した職場の友人に会いに行ってきた。

5月に入ってうちの市でもコロナ感染者が増加し、職場から不要不急の外出は控えるよう通知が出ていたので悩んだのだけれど、2人で会うだけだし、感染対策をしっかりすることにして、お忍びで行ってきました😅。


車で1時間半ほどのプチ旅行。

県庁所在地の彼女の住む街は県で一番の中心地。

とは言っても、地方都市だから大したことはないのだけど、ここ数ヶ月は本当に生活に必要な買い物、通院くらいで、自分の住む街をほとんど出ていなかったので、「あらやだ!都会じゃん😆」とテンション上がりまくり☆


彼女とランチをする前に、彼女が退職を決める後押しにもなった、オススメの占い師さんのところに寄って来ました。



以前に書いたブログで、もう占いは行かなくても良いかなと言っていたのですが、1月に突発性難聴を発症して以来、仕事でもトラブルが続発して、「これはお祓いがいるのでは😱❗️」とまで思った時期もあり、久しぶりに自分の事を占ってもらおうかと行って来ました。


予約した直後から、仕事上のトラブルが嘘のように同時に片付き、なんとなくその意味の答え合わせに行ったようになりました。


結果として、自分でもなんとなく感じていたように、突発性難聴の発症も、一連のトラブルも全て起こるべくして起こったものとのこと。

突発性難聴はこれから自分の身体と上手く付き合っていくための大事なサインと言われたし、トラブルが続けて起こった事もとてもラッキーなことだから、お祓いではなくて、神様に感謝をした方が良いと。

普通であれば数年かけて経験するようなトラブルを2か月ちょっとでまとめて経験しているので、バラバラに起こるより精神的な負担は軽く(確かに対処するのに精一杯で、辛いと感じているヒマさえないほどだった😅)、しかもこの先、課長として働く上でどれも必要な経験だった。次に似たような事が起こっても対処するスキルを身につけたのだと。


思えばここ数年は本当に人生で辛い期間だった。両親の介護、延命治療をやめての看取り、幼なじみの突然死。ほんの2年でまとめて。

誰もが逃げることが出来ない命の期限に向き合った日々は本当に辛かったけれど、人生に限りがあることを意識して生きることは、これからの私の人生をどう生きるか考えるために、きっと必要なことだった。


同じくして、長男が家を出て、子育てのステージもひとつ次の段階へと進んだ。


課長と言うポジションにはまだまだ慣れないけれど、誰かが担わなくてはならないのだし、自分も今までそうした誰かに助けてもらい、守ってもらってここまで来たのなら、逃げずに出来ることからやってみるべきなのだろう。


いつまでも腹をくくれずにいた私に、神様がくれた思いやりが、きっと突発性難聴から今日までの日々だったに違いない。


「暗いトンネルはもう抜けたから、大丈夫。あとはこの教訓を生かして、自分に与えられた役割を楽しんで。数年後には楽しくて仕方ないと言って働いているあなたが見えるわよ。」と言っていただいた。


仕事を辞めた同僚は、自由になった小鳥のように明るい笑顔で迎えてくれた。

「心配してるから、辛くなったらいつでも会いに来てね。」と。


人にはそれぞれの道がある。

これからは身体に気をつけながら、自分の納得のいく生き方を目指します。

背負い過ぎずに飄々と。


コロナ禍でいろんな制約が続いていたり、管理職のストレスもあって、突発性難聴以降、トンネルの中にいるような気持ちでいたが、久しぶりに明るい未来を考えている。


これまで突発性難聴を理由にこのブログで、外には出せない沢山の思いを綴ってきました。

偶然にもお読みいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

私の心の荷下ろしにお付き合いいただき、感謝いたします。


どうぞ、皆さんも今向かい合っている何かを乗り越えて、もしくは自分なりの折り合いをつけ、明るい未来に向かって進まれることを祈っております。


人生は旅。自分が本当に行きたい場所へ、躊躇なく飛んでいこう! 


FLY for you!