連休も終わり、昨日からすっかり仕事モード。

連休の5日間が夢のように思えるほどのせわしなさ。でも、働きますよ、休んだのだからね!


この週末は実家に行こうと思っている。

父の命日が来るから。


2年前に亡くなった父は、認知症と何度目かの脳出血で、自力での嚥下が不可能になり、兄妹で看取りを決心した。

確か10連休だかの長いゴールデンウィークの後だったから、連休中は毎日、病院に通った。


近くに住む兄や姉と違って、車で1時間ほど離れた街に住む私は、危篤の連絡を受けては祈るような気持ちで、毎回、車を走らせた。

体力のあった父は、何度か危篤を繰り返して、延命措置をやめてから栄養も水分も摂らずに20日間ほど生き抜いた。


亡くなる前の10日間くらいは、本当にずっと良いお天気で、ちょうど山々が新緑に包まれる頃でもあって、道中の車から見る景色は本当に美しかった。

山々は萌えるような新緑に覆われ、空は一命を取り留めた朝方も、病院から家に帰る夕暮れもずっと透んでいて恐ろしくなるほど美しかった。


延命措置をやめれば命が尽きるだけなのはわかっていたけれど、それでも前の年に母を亡くしたばかりだったから、一日でも長く生きてくれないかと、矛盾するようだけど祈り続けた。


そんな時、病室から、車から、そんな美しい景色を見るにつけ、昔、本で読んだインディアンの言葉を思い出した。

「今日は死ぬには良い日」

父がもうすぐこの世界と別れを告げるのなら、最後にこんなに美しい景色を見て旅立つなんて、なんて幸せなんだろうと思った。

それとも、自分が死にゆく父の気持ちになって、もうすぐこの景色も見納めと思ったからこそ、あんなに美しく感じたのかもしれないけど。


同じように延命措置を辞めて、あっけなく旅立った母とは対照的に、何度も危篤になって家族を集めては、お別れの時間をたっぷりとって満足したのか、最後は家族の誰ひとりも待つことなく、一人でさっさと逝ってしまった。

いつも出かけると「俺は先に行くからな」と一人で先に行く父を思い出して、ちょっと笑った。


大人になったら悲しくないのかと思っていたけれど、たとえ自分がいくつになっても、親がどれだけ長生きしても、やっぱり悲しいものは悲しいんだなと思った。

お葬式で父の戒名を聞いた時、新緑萌える山々の様子が入っていて、とても有難かった。




思わず車を停めて、何度か写真を撮った。

最後に見た世界の、山は緑、空は青。

この上なく美しい世界で良かったね。