昨年に引き続き、今年も8月に休みを頂いて青春18きっぷでベイスターズ応援の旅へ出かけます。この旅を毎年恒例にしようと思っています。8月に休みをとれるよう普段からしっかり仕事を頑張ることにしましょう。
今年は柳井に立ち寄りましょう。柳井は明治の文豪・国木田独歩ゆかりの地です。岩波文庫、『武蔵野』を読みながら鈍行列車でのんびりと出掛けましょう。
柳井の町は金魚ちょうちんでいっぱいです。炎天下にあって涼しげ、可愛らしいですね。
【金魚ちょうちん】
幕末、柳井の商人が青森のねぷたからヒントを得て、柳井の伝統的な綿織物である柳井縞の染料や竹ひご、和紙などを用いて作ったのがルーツだという説があるようです。どうりで街の雰囲気にぴったりで、その上可愛らしい提灯です。
8月13日には柳井金魚ちょうちん祭りが開催され、明かりを灯した金魚ちょうちんが町じゅうに飾られるそうです。さぞかし華やかで涼しげなのでしょうね。
白壁の町、柳井の清流、柳井川沿いにいくつも灯籠が建っています。沖見堂と言うそうです。
【沖見堂】
沖見堂は白壁の商家に荷揚げするための船着き場に目印として設置された灯籠です。当時の柳井の町の賑わいが伝わってくるようです。
川沿いを歩きながら、今回一番の目的地、国木田独歩旧宅へ向かいます。38歳で夭逝した国木田独歩は20歳~23歳までの多感な青年期をここ、柳井で過ごします。独歩は柳井の町を国許(くにもと)と呼び、柳井へ赴くことを帰国・帰省と記すほど柳井の町を愛していたようです。
【国木田独歩旧宅】
お庭から内部の展示物を見学できます。独歩は柳井での生活をモチーフに『少年の悲哀』や『置土産』などの短編を執筆したそうです。
独歩の作品はうら悲しくてしんみりとした何だか懐かしさを感じる作品が多いような気がします。
旧宅周辺の小径は独歩が好んだ散歩道のようです。前述の『少年の悲哀』のヒロインはこの道で出会った少女がモデルだそうですよ。
【独歩曽遊の地】
柳井の町で国木田独歩の像に出会いました。
【国木田独歩の像】
この像は22歳の頃の写真をもとに製作されたもので文学作家を志していた当時の凛々しい姿が表現されています。
しらかべ学遊館の学習室では独歩の写真、レリーフ、初版本から自筆の日記などが展示されています。
【独歩全集(初版本)とレリーフ】
レリーフは独歩の息子(二男)が作成したもので36歳、茅ヶ崎時代の独歩と22歳、柳井時代の独歩です。昔の文豪は皆、イケメンですね。
自筆の日記も見ることができました。国木田独歩が執筆している様子が目に浮かんできそうです。感動しました。
【国木田独歩自筆の日記】
ここからは柳井、白壁の町並みを散策します。
【柳井、白壁の町並み】
柳井の町並みは室町時代から瀬戸内海の港町として栄えました。江戸時代には干拓が進み、多くの商人が集まり、商業の中心地となります。雰囲気のある町並みですね。この白壁の町並みは元禄以降の町屋造りで、当時の繁栄ぶりを今に伝えています。
江戸時代、油商を営んだ豪商・国森家の住宅は室内を見ることができました。
【国森家住宅】
国の重要文化財に指定されているこの住宅は明和5年に建築された歴史ある建物。いいですね。まるで花登筺の世界です。今にも番頭さんや御りょんさん、若旦那が現れそうです。
【掛屋小路】
この路地は金融業を営む商家・掛屋があったことから掛屋小路と名づけられました。柳井川から荷揚げされた商品はこの道を通って各商家へ届けられたそうです。
小路の両端には古い町割りの排水溝が残っています。中世に造られた町割りの排水路がそのままの姿で現在まで残っている珍しい遺構です。
柳井散策の締めくくりは湘江庵でお参りです。ここには限りない慈悲を現す虚空蔵菩薩がいらっしゃいます。
【湘江庵・虚空蔵菩薩(左)】
「すべて柳井津という所には必ず虚空蔵おはす」と言われ福島・宮城それぞれの柳津とここ柳井の虚空蔵が日本三体虚空蔵でいらっしゃいます。江戸時代は諸国から多くの人がこの湘江庵に参詣したそうです。
湘江庵は柳井という地名発祥の地です。豊後の姫が、後の用明天皇に迎えられ海路上洛する際に遭難してしまい、この地に命からがら上陸します。水を求める姫に井戸の清水が差し出されます。生き返るような心地がした姫はお礼に不老長寿の楊枝をこの井戸の側にさしました。するとそこから柳が芽吹いたという故事があり、それ以来この地を柳井と呼ぶそうです。用明天皇は聖徳太子の父親です。境内には地名の由来となった柳と井戸が残っています。
「柳井山」の石碑は先ほど訪れた国森家の前身・守田家の四代目が寄進したものだそうです。
湘江庵にはまだまだ見どころ満載です。井原西鶴の歌碑が建っていました。
【井原西鶴、歌碑】
「丸雪(あられ)ふる 今朝の嵐の 吹き落て 柳井の底に くだく玉水」
とあるそうです。西鶴もここを訪れたのでしょうか? 西鶴の碑で句碑ではなく歌碑というのは珍しい気がします。
野口雨情の歌碑も建っています。野口雨情といえば童謡「七つの子」や「赤い靴」などで有名ですね。
昭和10年の5月、この地を訪れた雨情が作詞した「柳井小唄」の一節が刻んであります。
【野口雨情、歌碑】
「春が来たやら湘江庵の井戸の柳の芽が伸びる」と刻んであります。
雨情の直筆をそのまま縮小して刻んだものだそうです。
柳井は魅力的な町です。国木田独歩だけでなく井原西鶴、野口雨情と憧れの文人たちの足跡を訪ねることができました。まだまだ散策を続けたいところですがこの日の気温は広島で39度を記録したそうです。この酷暑、駅まで戻るので精一杯です。それに今晩はベイスターズの応援です。今日はここまでにしましょう。でもまた訪れたくなる町でした。