今日はちょっと変な事を書きますので、
違和感をもつ方もいらっしゃるかもしれません。
書くのにも少し勇気が要りました(大げさw)
少し前までは全くこんな事を感じたことはなく、
最近急に感じる不思議な感覚なのですが、
私にとっての「腎臓病」という病気が、
人間としての人格をもった存在に感じるようになったのです。
やっぱり変ですよね?(苦笑)
何でそんな感覚になったのか、自分なりに分析してみたのですが、
これは恐らくですが、3歳からずっと56歳になる今日まで
腎臓病と共に生きているので、
腎臓病が身近過ぎるというか、
常に人生を一緒に歩んでいる存在というか、
なんか「同志」「仲間」みたいな感覚とでもいうのでしょうか。
そのような思いが心の奥底にいつからか芽生え、
私にとっての「腎臓病」という存在の捉え方が変わったのかもしれません。
自分にとっての「腎臓病」という存在が、
「人格」そして「顔」をもった一人の人間に近い存在として感じ始めて、
自分でも少し戸惑っているのです。
このような感覚をもった方、いませんか?
やっぱりいませんよね(苦笑)
(2024年8月9日配信 じんラボメルマガ「所長通信」より一部改変)
違和感をもつ方もいらっしゃるかもしれません。
書くのにも少し勇気が要りました(大げさw)
少し前までは全くこんな事を感じたことはなく、
最近急に感じる不思議な感覚なのですが、
私にとっての「腎臓病」という病気が、
人間としての人格をもった存在に感じるようになったのです。
やっぱり変ですよね?(苦笑)
何でそんな感覚になったのか、自分なりに分析してみたのですが、
これは恐らくですが、3歳からずっと56歳になる今日まで
腎臓病と共に生きているので、
腎臓病が身近過ぎるというか、
常に人生を一緒に歩んでいる存在というか、
なんか「同志」「仲間」みたいな感覚とでもいうのでしょうか。
そのような思いが心の奥底にいつからか芽生え、
私にとっての「腎臓病」という存在の捉え方が変わったのかもしれません。
自分にとっての「腎臓病」という存在が、
「人格」そして「顔」をもった一人の人間に近い存在として感じ始めて、
自分でも少し戸惑っているのです。
このような感覚をもった方、いませんか?
やっぱりいませんよね(苦笑)
(2024年8月9日配信 じんラボメルマガ「所長通信」より一部改変)