前回のTwitterに関するブログの
続きのような感じです。
 
僕がTwitterを始めた時、
それは「同じ趣味を持つ人との交流」とか
「迅速な情報収集」を目的にして、
活動していこうと思っていました。
 
僕の趣味はアニメや漫画を見たり、
あるいは、BL作品を読んだり。
 
とはいえ、一般のアニメファンの中には、
BLを苦手とする人もいるはず。
なので、僕は、
このブログと連携している
アカウントとは別のアカウントを、
しばらくして作り、
そこでBL関連のツイートや情報収集を
行うようにしたのですが…。
 
そうです、問題はここで起きたのです。
 
先に述べた通り、僕の目的は、
「同じ趣味を持つ人と交流すること」に
あったので、「BL」や
「腐女子さん腐男子さん歓迎」、
「腐男子」というハッシュタグをつけて、
フォロワーさん募集をかけたのです。
 
…確かに、フォロワーさんは見事に集まり、
順風満帆なTwitterライフが
スタートしたかのように見えました。
 
けれども、僕は
いわゆる「腐垢」の実態を
分かっていなかったのです。
 
最初、「腐垢」の運営者は、
ほとんどが異性愛者の成人女性、
卑俗な言い方をすれば
「腐女子」の方ばかりかと
僕は思っていました。
(このブログの読者の方がそうですから)
 
けれども、Twitterは違いました。
アンケートを実施した結果、
「腐垢」の運営者(特に僕のフォロワー)の
およそ6割が、LGBTに属していたのです。
しかも、フォロワーさんの
年齢を確認すると、
成人は12%しかいなくて、
中学生が25%、高校生が41%と、
僕より年下の人がこれまた
全体の6割を占めているのです。
僕はこの結果に衝撃を受けましたが、
さらに僕の頭では
理解できない事が出てきたのです。
それは、「Twitterの活用法」です。
 
僕がTwitterを使う理由は、
先程述べた通りのもの。
DMでやり取りしてた子とたまたま、
池袋のアニメイトで出会って、
お互いに挨拶するくらいには、
まぁ、そこら辺の目的は
達成できているかな、とは思います。
けれども、多くの人は実際のところ、
「大切さん」や「俺の弟」、
「僕のおにいちゃん」というような、
表現は沢山ありますが、
ぶっちゃけていうと「恋人探し」が
目的になっているものが
非常に多かったのです。
 
そして、何より、
彼らは現実世界で打ちのめされている、
いわゆる「病み垢」の方々です。
状況が僕にはよく分かりませんが、
「死にたい」、とか
「生きてる価値なんて無い」なんて言葉を
軽々しく口にしているのです。
 
そんな状況において、
彼らに手を差し伸べるのは
同じく「病み垢」の人々。
さながら傷の舐め合いのように、
お互いが共依存の関係になる様が
TLに上がってくる状況。
とんでもない「狂気」を
僕はその時に感じました。
 
共依存の関係に陥った彼らは、
先ほどの称号を互いに与え、
「恋人関係」になりますが、
僕が見る限りでは
Twitterを始めて3ヶ月経った今において、
この関係が1ヶ月半以上続いた例はなく、
ひどい場合は2日で
その関係は終わりを告げるのです。
 
最初はなぜそんなに早く関係が
終わりを告げるのか、
僕は意味が分かりませんでした。
 
けれども、すぐに理由が分かりました。
それは、彼らの発する言葉に
「重み」というものが
欠けているからなのです。
 
考えてみたら、
彼らは最強のパワーワードである
「死にたい」という言葉を軽々しく使う。
この結果、この言葉が持つ「言葉の重み」が
どんどんと失われてきているのです。

その状況下で、「愛している」だの、
「一生離れない」だの、
そんな歯の浮くような陳腐な台詞のどこに
「言葉の重み」があるというのでしょうか?
そんな状況でささやかれる愛の言葉なんて、
へそで茶を沸かせるくらいに
ちゃんちゃらおかしい戯れ言にしか
少なくとも僕には聞えないのです。
そして、彼らも、結局は、
「言葉の軽さ」故に、
疑心暗鬼なってしまった結果、
その関係は一瞬にして崩れるのです。
 
こんな状況は誰も得をしません。
僕らはTwitterをやることによって、
発する言葉の重みの大部分を失わせ、
そして、言葉の
「存在の耐えられない軽さ」が
蔓延した結果、
個々人の発する言葉が
もはや人の心に
響かなくなってしまったのです。

別に僕は高いレベルを
彼らに求めているわけではありません。
古舘伊知郎さんとか
安住紳一郎さんのような、
「喋りのプロ」を目指せと
言っている訳ではありません。

けれども、言葉を軽々しく使う事で、
元来、言葉の持つ力、
「喋り」の持つ「心に響かせる力」が
驚くべきスピードで
消え失せつつあるのは事実です。

頭の中で考えてみようよ。
その言葉を
本当に「軽々しく」使っていいのか?
「よく考えた」上で使っているのか?
そして、「言葉の持つ重み」を
自覚しているだろうか?
そこのあたりをしっかりと
頭の中で反芻した上で、
僕たち全員で
この現実に抗ってもらいたい。

そう僕は思うのです。