コンプライアンスよりも重いレピュテーショナルリスク問題

経済と社会の本質を見抜く(4)コンプライアンスとリスクの境界線

 

柳川範之

柳川範之 東京大学大学院経済学研究科・経済学部 教授

この講義シリーズを贈る

テキスト

経済を動かす企業の活動に大きく関わるのが「コンプライアンス」の問題だ。事業の透明性を担保し健全に事業を運用する上では欠かせないコンプライアンスだが、そこには活動を萎縮させる負の側面もあるようだ。それが「レピュテーショナルリスク(企業の評判に関わるリスク)」である。いかにしてそのマイナス面を抑え、活発な経済活動を支えるか。SNSでの炎上など、昨今のメディア事情を踏まえて考える。(全6話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)

時間:10:49
収録日:2023/08/09
追加日:2023/11/19

カテゴリー:

キーワード:

テキストをPDFでダウンロード≪本文≫

●コンプライアンスのプラス面とマイナス面


―― 続いてコンプライアンスについてですが、2016年くらいからコーポレートコードの中に採用されて、コンプライアンスがあったことによって日本の開示情報はかなり透明性を増して、いろいろな良くなった面と、逆に企画部門の優秀な人の4分の1くらいが(コンプライアンスのために)張りつかざるを得なくなったというマイナスの部分の両サイドがあると思います。先生はどのような感じで見ていらっしゃるのでしょうか。

柳川 そうですね。おっしゃる通り、両サイドあると思います。明らかに社会的に見ても、あるいは企業の業績的なものから見ても問題だと思われるような行為や活動が見過ごされてきたり、漏れてきたりした部分があったことは事実だと思います。それをコンプライアンスという形できちんとチェックして、問題があるところはちゃんと直していくという仕組みができたことは重要なことだと思います。

 ただ、その一方で、あまりにもコンプライアンスを気にするあまりに、そこに相当過剰な労力をかけたり、あるいは先ほど(前回)の話に近いですけれども、少し冒険的なことをやってみようというのもかなり問題になるのではないかということで抑制的になってしまったりという部分があることも事実です。プラスの面とマイナスの面がけっこうある気はします。
 

●コンプライアンスの徹底が生む「レピュテーショナルリスク」問題


―― もともと日本みたいにそんなに悪い人がいない社会で、そもそもこんながんじがらめのものが要るのかと。あれもおそらく、もともとは良かれと思ったのだけれども、気がついたらがんじがらめになっていて…。(でも今さら)そうしたらこれ(コンプライアンス)を消せよ、というような感じのことはできませんよね。

柳川 そうですね。いくつかのポイントがあるのだと思っています。1つ大きなポイントですけれども、明らかに白黒の線引きがしっかりする部分について、黒なものは黒だと社会が求めるのであれば、そこはしっかりやらないといけないと思います。ただ、グレーの部分や、ある程度当事者に自由度があるような部分というのも、コンプライアンスの話ではけっこうあります。

 そのときに、1つはグレーだと認定されるだけで問題だから、そこはもう全部白にしようというマインドが働いてしまうということがあります。そのときに大きなファクターになるのが、法的な問題よりは、マスコミや世間に問題にされるというところで、コンプライアンス上の構造としては特に日本ではもうマスコミで騒がれたらアウトだというような感覚がどちらかというと強いと思います。

―― おっしゃる通りですね。

柳川 なので、その部分が「レピュテーショナルリスク(企業の評判に関わるリスク)」になるというわけです。「評判が落ちるとこれだけでアウトだから、評判が落ちる可能性があることはできない」となってしまうと、おっしゃるところのがんじがらめになってしまっている部分についてですが、その部分は大きいと思います。

―― 確かにそうですね。

柳川 もちろん、ルールが作られることでレピュテーショナルリスクの部分が形成されるわけなのですけれども、レピュテーショナルリスクはすごく大きいから、なんとなくそういうことがどんどんできなくなります。だから厄介なのは、レピュテーショナルリスクというのはよく分からないということです。

―― 確かに、規定されているわけではないのですね。

柳川 はい。規定されているわけではないのです。

―― けれども、ものすごく恐れおののきますよね。

柳川 法律できっちり線が入っていて、「この線から出ていないではないですか」と抗弁すればみんなが納得してくれるというような話ではないので、ぼやっとした線引きのぼやっとした中で、なんとなくこんなことやると叩かれるのではないかというような…。

―― OBラインがはっきりしていないわけですね。

柳川 そうですね。そうすると会社の中のコンプライアンス部門とかはそこを広く取って、問題にならないようにせざるを得なくなるわけです。

 なので、日本の大きな課題はここだと思います。コンプライアンス自体が問題というよりは、コンプライアンスにある種のレピュテーショナルリスクがくっついて、このレピュテーショナルリスクは、過度にというのは少し言いすぎかもしれませんけれども、相当ウエイトを置いて企業運営をせざるを得ない実情があるので、相当な重荷になってしまっているという気がします。
 

●SNS炎上がレピュテーショナルリスクを増大させている日本


―― 先生がかなり明確にしてくれましたけれども、そのレピュテーショナルリスクを考えたら動けないですね。どちらかというとOBラインがはっきりしていないものに対して、「あっちの方向に行くな」と言われたら、なかなかリスクテイクできないですよね。

柳川 そうなのです。

―― そうすると、開発とかがものすごく遅れますよね。

柳川 ええ。なので、これも「欧米は」というと少し紋切り型で言いすぎではあるのですけれども、コンプライアンスのところとか、あるいはリーガルなところは、1つの割り切りとして「最終的に裁判で勝てればいい」という話です。だから、ゴーサインを出せるか出せないかは、裁判で勝てるかどうかなのです。

―― なるほど。それは分かりやすいですね。

柳川 でも、日本は裁判を起こされたら終わりです。裁判を起こされるどころか、その手前で、SNSで炎上したら終わりです。裁判で勝てるかどころか、裁判を起こされない、あるいはSNSで炎上しないくらいが日本の限界なのです。いろんなものをやるときに、この差は相当大きいわけです。

―― なるほど。

柳川 いろいろなチャレンジをするときに、特に明確な線引きが法律とかルールでなされていないとか、コンプライアンスもいろいろなレベルがあります。当然守らなければいけないコンプライアンスもあるのですけれども、必ずしも線引きが明確でないようなところに関しての動きにくさというのは日本では大きい気がします。

―― 先生にそのように明快に話していただくと、すごくよく分かりますね。そうすると、アメリカの経営者にはガッツがあって、日本の経営者にはガッツがないとか、そういう荒っぽい説明は成り立たなくなりますね。

柳川 そう思いますね。

―― そうですよね。裁判で勝てるかどうかだと。しかもアメリカの裁判はけっこう結果が早いですよね。日本はすごく長期戦になるし、SNSが炎上したら終わりだといったら、やはりやらないほうがいいということですね。

柳川 そう思いますね。そこは大きい気はします。SNSで騒ぎすぎたりするという構造について、騒がれてもいいと思うのですけれども、それが直接、経営者の辞任や担当者の責任問題にならない構造をもう少し作っていく。そういう意味での冷静な判断をするマスコミなどがもう少しあってもいいのではないかと思います。

―― でも、(そこの問題として)さらに、(リスクがあってもチャレンジして)稼いでくれる人がいないと全員貧しくなるよということで、競争力のある産業がないと豊かになれないというのはどこかへいくわけですよね。

柳川 そうですね。そこは1つ大きいのでしょうね。なので、ある意味でちゃんと稼いでくれる人を評価しましょうという軸が1つあって、それはたしかにあったほうがいいと思うのです。もう1つは、そこまでいかないにしても、たとえ稼げる人であってもコンプライアンス上問題がある人は問題にすべきだというのは、価値判断になりますが、すごく稼ぐのが世の中にとって必要だから、コンプライアンス上多少問題があっても目をつぶろうというようなことがなかなか許されない世の中になっていることも事実だと思います。それはそれで1つの価値判断として私は正しいと思うのです。

 ただ、コンプライアンス上の問題が本当にしっかりとした黒ではなくて、やや問題かもしれないくらいのところで炎上してしまって問題になるというのは、少しいきすぎなのではないのかということです。

 あるいは、その問題の大きさの程度だと思います。たしかによく見れば明らかに法令違反だけれども、ではそれが本当に悪質なものなのかどうなのかというところは、もう少し丁寧に見るということはあるのだろうと思います。

 一方では、いまだにかなり悪質なものがマスコミの報道などで明るみに出ることもあるので、マスコミで騒がれること自体が一概に悪いわけではないのですけれども、そこが本当に大きな課題なのか、針小棒大に騒がれてしまっているだけなのかというのは、もう少し冷静な判断がされるといいのだろうと思います。

―― その部分ですね。でも、ほとんどの人が、裁判に勝つ・負けるという以前にSNS炎上があるかないかというレピュテーショナルリスクで、何かやろうと思ったら「やめといてください」と言われますよね。

柳川 そうだと思いますね。だから大きいと思います。

―― そうでしょうね。そこの日本の基準値が(他の国と)全然違うという感じのものなのかなと。

・・・