上記にも書きましたが、今私の問題になっているのは身体が衰弱してしまった叔父の行先が無いこと、叔母が余命宣告されてしまった事です。
今年の初めに叔父たちの任意後見人になる手続きをして、すぐに叔父が倒れて、病院施設を次々と移動する相談手続きを叔母としたり、叔母の担当医に呼ばれて家族として、叔母の今後の治療や暮らし方を相談したり、叔母とは亡くなった後どうするかについての話し合いもあり、先の見えない状態です。
任意後見人になった時は、叔父叔母は高齢ではあったものの元気だったので、こんなにすぐに怒涛のような状況になるとは思いませんでした
叔母から後見人の話が出た時、私も高齢の親もいるし、引き受けざるを得ないものの、同時に色々起こった場合に体力がほんとない私が家や親の面倒を見ながら、全ての対処をする事が出来るかと悩んで、魔法の杖に聞いたのです。
その時に出たのは「そのことはあなたの魂の糧になる」でした。
高齢の4人の最後までの面倒を見て、お葬式まで全部やり遂げるのはとても大変で困難ではあると思いますが(弟一家は群馬で頼れないので、一人で全部しなくてはならないので)、それでもそれを成し遂げるのは私の魂にとっては、きっと意味のある事なんだなと思って、覚悟を決めて引き受けました。
そしてタイミングを計ったように、公証役場で手続きが終わって1ケ月もしないうちに叔父が倒れてしまい、次々とやる事や調べる事、勉強する事が増えていって、介護は情報戦という意味もなるほどその通りと、すごく勉強になりました。
どうせうちの親の面倒もみるので、何にしてもきっと将来役に立つと思い、確かにこの学びや経験は魂の糧になっていくんだろうなと思っていましたが…。
叔母の余命宣告を受けて、そっちの方ではなく、私の魂の糧になるのは本当はこっちだったのかなと実は思いました
確実に遠からず死ぬと分かっている人との、長くて1年の付き合いです。
叔母は、私が後見人になるのを引き受けてから、葬儀をどこにするか、お墓をどこにするか、その手続きや事前の料金の支払いなどを次々にしていました。
とにかく私に迷惑を掛けたくないという一心で、元々ほぼ断捨離は終えていた中で、それでも残していた大事にしていた着物も先月とうとう売ってしまいました。
着物の処分は私でもできるから、生きているうちは持っていればいいと言ったのですが、叔母の決意は固くて動かせません。
これはあまりに寂しいと思い、叔母が以前すごく気に入っている帯があると言っていたので、それをテーブルセンターに仕立て直すからと言ったら喜んでくれて、他に3枚ほど一緒に譲ってくれました(確かにとても素敵だったのですが、頂いた後に紬と聞いて、切るのはどうかなと迷い中です)
更には帯の包みの横には、死んだ時に着せて欲しい洋服一式も、叔父と叔母の分が風呂敷に包んで置いてありました。
叔母の棺には、思い出の写真に叔父から若い頃貰った手紙を貼ったアルバムも入れて欲しいというので、間違えないようにスマホで写真も撮って残しました。
それらはまだ叔母自身が病気と知る前に全て行っていたのですが、最後に死後の為に戒名まで頼んでいたら、その戒名が出来たという知らせが来た日に余命宣告がされました。
なんていうか…ありとあらゆるタイミング的に準備をしていたとしか思えないという。
従姉は「何かしら虫の知らせでもあったのかな…」と言いだしてます
叔母の病気は、担当医も「死ぬなら私もこの病気で死にたい」と言っていたもので、確かにこれならギリギリまで普通の生活が出来るし、生きているうちにやりたい事、やって欲しい事、死後にどうして欲しいかの希望を伝え、準備も出来ます(叔母はほぼ終わってましたが)
私が残された叔父の面倒をみる事になるので、叔母と色々と打ち合わせもしなければなりませんが、それが出来るのはありがたいです。
そして私の救いは、カードで色々と相談や励ましやメッセージをもらえることです(相変わらず、カードと話をしている状態)
叔母の余命宣告を聞いて、フラフラと家に戻ってカードを引けば
「あなたが今抱えている課題は、必ずやり遂げることが出来ると信じてください」と出てくれて、最後までやり抜く勇気と気力をくれたり
色々と八方塞がりのような気持ちになった時には、本当に何度も何度も「あなたはいつでも自由であるという事を知ってください」と出てくれました。
この自由のありがたさは、しても仕方ない心配はせず、自分で今できない事でクヨクヨ悩まず、その段階で出来るだけの事をした後は、気持ちを切り替えて生活して、楽しむことを思い出させてくれたことです。
悩んでいる時、行き詰った時に、これは難しくも思えるのですが、それでも「楽しみなさい」という言葉も何度も出てくれたので、気持ちの切り替えを出来るだけして、今考えても仕方ない事は考えずにいる事に罪悪感を感じずにすんでいます。
こんなに何度もこのカードが出るという事は、この在り方は私だけではなく、他の人にとっても大事なのかな?と思ったりもしました。
神様守護霊様天使的に、悲しみや悩みの中でも、それに意識をとらわれ過ぎず、やれることをやった後は、それを忘れて楽しんだり、心を広げて明るい方を向いていくといった、そんな感じでいて欲しいと願っている事なのかなと。
今は流れに逆らわず、成り行きに任せなさいというカードも何度も出てので、これから本当に大変になる時までは、充電期間と思って、私も普通の生活を送ろうと思っています。
ただいつなん時、また入院や施設の移動で病院で呼ばれるかもしれないので、大掃除は手が空いた時に早目に始めておきました。もう換気扇の掃除以外は、ほとんど終わっています
気持ち的に、これが終わっていると思うと余裕が出来て正解でした
あとは霊もあの世もあまり信じていない叔母に、飯田史彦さんの「生きがいの創造」と「ツインソウル」を読んで貰いたいなと思っています。
目が悪くなってきているので、私の方で話をしてもいいかな。
祖母が最後の入院をした時に、私に「私は死ぬのが怖い。何もなくなってしまうのが怖い」と言っていたのですが、末期がんだという事は親戚一同みなで相談して隠していた事もあり、あの世の話を何もしてあげられなかったのが今も悔いになっているので、叔母が許してくれたら、私が今まで本で読んだり聞いてきた話をしてあげられたらと思っています。
私自身でいえば「死」はちょっと救いのように思っているところがあって(自殺はなしですが)、怖いのはその前の段階の身体的な痛みや苦しみ、残された家族や友人達悲しみの事がなければ、どこかで楽しみにしているところもあるんです。
先にあの世に行ってしまった大好きだった人達に会えるし(もちろん天使と話すPさんも!)、行きたい場所や時代に行ったり、気になっていた未来の日本を見る事もできるし(大地震がいつ起こるのかとか)、魂状態になれたら土星くらいまでは行きたいと思っていますしね
これってスピ系の人に、割とありがちな気持ちのような気がします。
「オーラの泉」で、いっぱい江原さんの話を聞いてきたし。
とはいえ昔、私が子宮筋腫で手術をする前に、エコー写真だけ見た先生が、ガンかもしれないと言われた時の目の前が真っ暗になった気持ちも憶えています。
実際にまたその宣告をされたら、また目の前がまっくらな気持ちになるかもしれませんが。
叔母にも余命宣告は辛くないかと聞いたのですが、叔母は「私はずっと自分はどんな風に死んでいくのかなと思っていたので、ああそういう風に死んでいくんだとしか思わないから、大丈夫なのよ」と言われて、高齢になるとそういう風に考える人もいるんだなと思いました(私の為に言ってくれたのかもしれませんが)
というわけで、しばらくは叔母とカードと相談をして、色々と出来る事をして頑張っていきますね
関係ない話ですが、来年は1月からまた六害宿始まりますので、皆様どうぞお気をつけてお過ごしくださいね。
新年のあいさつや国別の恒例の占いは、「六月鳥館」の方で致します。
良かったら、そちらも御覧ください。
それでは少し早いですが、皆さんどうぞ良いお年を




私が体験した不思議話を色々と書いています。
天使と話をしたり、魂から直接過去現在未来を聞く事ができるPさんという不思議な人の話も下記に書いています。
不思議話やスピリチュアルが好きな方は、よかったらどうぞ~(^^)
(私が最近経験した不思議話もあり)