人との育ってきた環境や性格が、亀裂を生じさせることもあるし、無いものを埋め合わせできることもある。

昔、私が小学生低学年くらいのとき、小豆島の八十八箇所参りを家族でしていたとき、何を思ったのか、私が間違って小さなお地蔵さんをまたいでしまったんです。
父にこっぴどく叱られ、「ごめんなさいしなさい」と何度も言われたけど、私は、訳が分からずわんわん泣いて、どれ位の時間が経ったかな…最後には謝ったんですが、かなり強情で私が何で叱られるのか分からなかったのか、お地蔵さんをまたいで悪いって言う認識がなかったのかは憶えてませんが、その時から、私は「自分の言い分」を通そうとする意固地な部分はあったのでしょう。

いいこと悪いこと、やらなきゃいけないこと、やらなくてもいいこと。

すべて私の頭の中ではわかっているのですが、私の性格と掛け合わせたとき、上手く反応するか、反発するか、直ぐに反応してしまうんです。

反発してるものはちゃんと誰かが化学反応させてくれないと、反発したままで、いつまでたっても消化不良。

そんな状態が、三年で私の器も爆発し、何もかも受け入れられない状態に。

そんな私を父が空から観ている。

こんな時、父が生きていたら、なんて言葉を掛けてくれるでしょう。



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