次男は幼稚園の頃、とある子が苦手なようだった。

次男の口から「苦手」と出たのは初めてだったので驚いた。

長男と違い、ほとんどの子と同じ教室にいても次男らしく過ごせると思っていたから、公園でその子にばったり出会ったときにそっと一定の距離を保っていたので本当に苦手なのだも気づいた。

でも、この子とは同じクラスになったことはない。

一緒に遊んだこともないのだという。

それなのに、なぜか次男は「苦手」だと表現した。

一緒に過ごすなかで「合わない」と思うことがあるならわかるが、なにも共に活動したことはないなに、何がわかるというのか。


そう思っていたが、ほかの子と過ごしているその子を見ていると理由がわかったような気がする。



ほかの子の使っている遊具を力づくで奪う

ほかの子のおもちゃも力づくで奪う

とったはいいが(よくないが)ほかの子が対象物から離れると遊具を貶す言葉(つまんねー、とかクソだな、など)をいう。

ひとの持ち物も貶す。(こんなの持ってんの?ダッセー!など)

走って後ろから体当たりをする。

叩く、蹴る、砂をかける。

泣いたり、嫌がったりすると笑いながら暴言を吐きつつ逃げていく。

人のおもちゃを踏んで壊したり、遠くに投げてしまう。


ほんの少し接触しただけだが、始終こんな調子だった。

逃げている子もいたが、そういう子を見つけては蹴る真似をしたり、わざと追いかけたりしている。


言葉に表すと、強烈なインパクトがあるように表現できてしまうが、まぁ、いわゆる少し目立っている派手な子、といった印象だ。


あるとき、次男がその子に話しかけられていた。

次男はススス…とゆっくり後ろに後ずさりしながら「わかんない」「知らないよー」と繰り返していた。

遊びに誘われたようだが、「やらないよー」と半笑いのような、少し困ったような、その感情を気取られないような、そんな中途半端な表情をしていた。


その子は次男が誘いにのらないことを理解すると、諦めてほかの子の場所は走っていった。


「こんなこともできないの?ダッセー」とか、「は?わかんないってなんだよ?わかれよ!」とか言っていたけど、次男はひたすら「わかんない」と返していたのが妙におかしかった。


正面からハッキリぶつかると揉めるとおもったとき、次男は必殺技「わかんない攻撃」をする。

とにかくわからない、知らない、やれない、と繰り返して相手からどんなふうにどんな言葉を言われてもすっとぼけるという最強の技だ。


本心では「あなたとはやりたくない」と思っていても、それをそのまま使えばケンカになることが理解しているから「わからない」と曖昧な言葉を使って誤魔化している。

上手な立ち回り方だと思う。(わたしも見習いたいw)


次男は、平和主義だと思う。

叩かれるのも嫌だし、言葉で強く言われるのも苦手だ。

どんな悪口を言われても聞こえなかったふりをして、騒いだり悲しんだりしているそぶりを見せない。

本当はできるのに「できない」と言って「できねぇなんてダセェ」と言われたって、心の中で「本当はできるけどね」と自らの心を上手に守ることができる子だ。


その次男が、うまく遊べる気がしない。というのだから、自分とその子の相性が良くないだろうということを理解しているのだと思った。


次男は、小学校のクラスわけがその子と分かれたことでほっとしたらしかった。

というのも、自分は悪口を言われたり、叩かれたりしたくない。

自分以外の誰かがそうしたことを言われたり、やられたりしているのもみたくないのだと言った。


言葉遣いも、ほとんどがいわゆる「てやんでぇ言葉」だから、キツい言い方に聞こえる。

例えば「なにしてるの?」と聞けば良いところを、「てめぇ、なにやってんだよ!?」と言ってしまう。

怖い、と感じる子がいても仕方ないよなぁ、と思う。

大人に対しても、「うっせぇ、だまれクソババア!」などと言う。

わたしは、ここまで来ると一周まわっておもしろい子だと思ってしまうが、我が家では「相手に不快な思いをさせないような言葉や態度を心がけましょう」と教えているので、我が家の子供たちはあの子がどうしてそんな言葉を使うのか理解できないらしい。(そりゃそうだ。)


これだけ大口を叩けるのだからさぞニヒルな子供なのかと思いきや、先日、なんとも子供らしい一面を見ることができた。

学校のとある役員になってしまったので、新一年生のある活動のサポートをしに学校へいったときのことだ。


わたしはその子のクラスの担当になった。

先生の指示を待つ間、その子が大きな声で話しかけてきた。

その時の顔は、いつも通り眉間に険しいシワが寄り、アゴを少し上に上げ、顔は斜めに傾けていた。

まるでヤンキーが相手を脅すときのような、漫画的なあの態度である。

そして、その表情のまま、人差し指をこちらに向けつつ発した言葉は

「ねぇ!だれママ!!??」だった。

そんな険しい顔をしているクセに、わたしが誰のママか気になって声をかけるだなんて、年相応のこころを持っていることにすこし嬉しくなった。

しかし、最初の「だれママ?」をなんと言っているのか聞き取れずにいたら、その子はわたしが反応するまで何度も同じワードで声をかけてきた。

わたしは、その子のそばまで行き、

「それ、わたしに向かって言ってるの?」と尋ねた。

するとその子は面食らったような顔をして、すこし怯んだように見えた。

大体のママさんは、子供がどんな態度をしていても、よその子には優しい反応をすることが多いように思う。

が、わたしはその子が、誰に、なにを言ってるのかわからなかったので、確認したに過ぎないのだが、夫に言わせればその言い方は小さな子からすると威圧的であると感じると思う、とのことだった。


我が子に対しても、生意気すぎる態度をとったときには同じように聞いている。

子供はどこかで、相手が大人だから許されると考えていることもある。

恐らくその子も、どんな聞き方をしても「次男のママだよー」くらいの反応が返ってくると予想していたのかもしれない。


その子はいくらか眉間のシワをゆるめ、「だれママ?」とまた指を差しながら聞いてきた。

「あぁ、誰のママか?ってこと?」とさらに聞くと、その子はコクコクと小さく頷いた。

「○○のママだけど、知ってる?」と聞くとその子は「知らね」と小さめの声で言った。

もう眉間にシワは寄っていなかった。

「幼稚園では一緒のクラスになったことはないと思うから知らなくても仕方ないと思うよ。

小学校も○組だから、別のクラスにいるよ」というと、「ふーん」と納得したようだった。

そのあと、「思い出した!幼稚園では○組だった!」と言ったので、「合ってるよ、キミはおとなりのクラスだったよね、知ってるよ」と答えたらなんだか少し嬉しそうな顔をしたように見えた。


いつも眉間にシワを寄せ、「てやんでえ言葉」を駆使して騒いでいるのに、「オマエ、誰のカーチャンだよ?」なんて気にしているなんてかわいいところがあるな、と思った。


このままの調子で2年、3年と学年が上がっていくと、そんなかわいげのあることを言わなくなるような気もする。


それまで椅子をガタガタと揺らしながら座っていたのに、そのあとは大人しく過ごしていた。

もしかしたら、強い言葉や態度を駆使しているのも、本当はこうやってコミュニケーションをとってほしいからなのかな、なんて思ったりもした。


こうした強く見られてしまう子は、ほかの保護者からも、子供からも倦厭されてしまうこともあるだろうな、と思う。

比較的、人間関係を円滑に立ち回ったきた次男が、「ぼくにはあの子は荷が重い、無理だ」と言うのだから、戸惑うことも多いのだろう。

同じ幼稚園出身のママさんの誰に聞いても知っているという子でもある。

たびたび園に呼び出されていたと言っていたことから、さまざまな噂がまわってしまうのだろうと想像する。

この子がいまのこの素直な感性を持っているうちに、ひととうまく付き合えるようになる怒りや感情のコントロールの仕方を教えてもらえたらいいのかもしれない、なんて。余計なお世話だけど。

良くも悪くも、感情が素直なのだと思う。きっと。

表現の仕方がへたくそに見えるのは、我が家の長男と似ているのかもしれない。系統は違えども。


「そんな表情、そんな言葉遣いしなくったって、話を聞くから大丈夫」という気持ちで話しかけた。

基本的に子供が絡んできたときしか対応しない。

けど、絡んできたときには子供相手にも誤魔化さず真面目に応えるよう心がけている。

どんな子でも最初から捻くれているわけではないのだと思いたい。


すべての子供が、自分の住んでいる世界に満足して過ごせていたらいいのにな、と願ってしまった。