泥棒を捕らえて縄を綯う

 

 

綯う(なう)は糸や紐をより合わせて1本にすること、

泥棒を捕まえてから、縛る縄を作ること。

 

事が起こってからあわてて用意すること。

 

いつもブログを見て頂きありがとうございますおねがい

小学生の頃、学校から帰ると遊びの方が忙しくて、

先生から言われた宿題はすっかり忘れて、

次の朝学校へ行ったものだった知らんぷり

朝先生は、昨日出題した宿題の答え合わせをやるのだが、

やっていないのだから答えられるはずがない悲しい

それでも、果敢に初見解答で、

少し怪しい怪答で凌ごうとするが、

そこはそれ先生はプロである口笛

やって来なかったのを見抜かれてしまって、

お前たちのようなのを「泥縄」と言って、

泥棒が来てから、縄を綯うことを言うんだと叱られたプンプン

解決法はいとも簡単なのである。

一番に宿題をやってしまえば、後は自由なのである。

自分の都合や欲望を優先させたので叱られたのであるえーん

 

甘酸っぱい思い出を思い出していて、

はたと気が付いた!

良く見なくとも世の中で起きているあらゆる事象は、

「事が起こってからあわてて用意」

していることばかりではないか。

メディアの流すニュースや報告は全て「泥縄」じゃ

ありませんか?

これでは憂鬱になってもしょうがない。

人間が知恵ある動物ならば、

「このように予防した結果、この危険は

未然に防ぐことが出来ました。」

というような、

喜ばしい報道を多く出来ないものなのかと思う。

それとも「他人の不幸は蜜の味」というのが、

メディアの正体か?