・「例の」大河ドラマ、なかなかに面白い。配役がいいのか、シナリオ(「史実」とかけ離れてる部分もあるようだが、それは脚色されているんで、しょうがない・・・。)がいいのか?

 

・それでも、少し「裏」をとるべく、上記の本と、下記の天皇列伝(のような本)をダブルチェックしてみた。ここから先、ネタバレというか史実をチェックするので、「夢を壊したくない人」は、読まないでね!?にっこり  よ・ろ・し・く・

 

読書感想:「敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇」(倉本一宏著・角川ソフィア文庫) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp)では、円融天皇あたりまで詳しく書いてある。なので、冷泉天皇(63代)、円融天皇(64代),花山天皇(65代)、一条天皇(66代)、三条天皇(67代)、後一条天皇(68代)あたりの「その次の時代」の天皇たちが登場している。

 

 

読書感想:「増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代」(倉本一宏著・文春文庫) | 雑文・ザンスのブログ (ameblo.jp) が「大河ドラマ」とも、この「御堂関白日記を読む」とも重なる。・・「長徳2年に、道隆嫡男の伊周(これちか)を退けた後は政敵もなく、一条天皇の後継者をめぐる微妙な関係や、三条天皇との確執も存在したが、長女の彰子(あきこ/しょうし)、次女の 妍子( けんし/きよこ)、三女の 威子(いし/たけこ)を一条、三条、後一条天皇の中宮として立て、「一家三后」を実現するなど摂関政治の最盛期を現出させた。」「御堂関白日記を読む」(p.22)。

 

・テレビでは、(数え歳12歳の)長女の彰子を一条帝の「中宮」に送り込む画策がなされていたが、平安中期の醍醐から後朱雀までの十人の天皇のキサキのうち初産年齢がわかる14名について婚姻時の、年齢を調べると、平均して16.4歳、最低で12歳だった、初産時の年齢は平均で21.4歳だった。なので決して若すぎではない。ただし子を産むまでの身分は不安定なので(特に、一条帝の中宮の定子は、「出家」したはずが、そののち一条帝の子を産む!?(定子は、二人目の内親王出産のときに、「後産」がうまく行かず、死去)・・など波乱万丈だった・・!道長はヤキモキして、一条天皇と彰子の間に子が生まれるようにと、金峯山詣でを行い、経筒を埋納した(後年、発掘され、現在、国宝に指定されている)。これが奏功したか?彰子はついに懐妊する。あつひら(敦成)皇子の誕生。のちの後一条天皇。なお、一条天皇と彰子の間には、後年もう一人の親王(敦良:あつなが)が生まれている。後朱雀天皇。

 

・ただ、その後、藤原家の娘を天皇家に送り込むには、対象となる娘が枯渇するという現象がおきてしまい、「天皇の外戚」としての藤原家の影響力は急低下して行った。

 

この藤原道長「御堂関白記」を読む、は、サマリー部分を一冊に解説してあるが、3冊(上・中・下)に分けて詳しく論じて居る・藤原道長「御堂関白日記」全現代語訳・も別途ある。