こんにちは、談話喫茶”ホーボー軒“へようこそ。
店主の Klavi-Seli にて御座候、どうぞごユルリと☕。
♢多々良真の音楽雑記帳から
【〇月△日】
とあるyoutubeチャンネル。
うら若きベッピン嬢が、クラシックについて語る動画チャンネルがあり、たまに視聴する。
まぁ、そんなのは他に幾らでもある。
当然第九にも触れている。
なので、そのお題の流れで、ティンパニの演奏が誤解されている旨を
コメントしたことがある。
合唱とオケが一丸となってフォルテッシモになり、雄叫びを上げる、終楽章の最初のクライマックスたる、合唱呈示部の結尾。
ここでティンパニーだけが、一人寂しくディミヌエンドしてピアノに至れ、と総譜(ゼネラルスコア)には明記されている。
指揮者の故・岩城宏之はティンパニー奏者、それも芸大卒の、だ。
指揮者になる前、何度も第九を叩いた事だろう。それ故、
「何でソリストも合唱団もオケ団も、全員フォルテッシモで雄叫びしているのに、ティンパニーだけディミヌエンドのピアノなんだよ」
と、これは打楽器奏者としては当然の疑問を抱いていた。
かくして岩城氏、ずっと後年になり、第九の直筆譜(のファクシミリ〔註〕)を眼にする機会を得る。
果たして、後年の校訂者の見誤りである事を確認した。
以来、彼は自信を以て、ティンパニーも堂々とフォルテッシモ参加させる事にしたんである、ところが ・・・
じゃあ第九、どの演奏も以後は岩城氏に倣ってティンパニーの雄叫び参加させる様になったのかというに、大して変わっていない様子なのである。
何でそう言えるか。
このティンパニー雄叫び論のコメをオレがあげたところ、
「いいえ、アソコでティンパニが弱まるのは、合唱とttitiを邪魔しないためです」
よって其の方が、
「良い」し、アタシは
「好きです」っていうレスが直ぐ様返されて来たんですわ。
で、Maybeこれ、一人二人の少数では無い。
否、少数派なのは相変わらず、オレを始めとする岩城派の方。
やれやれ。
ツッコミどころ視点が多過ぎ。
何から手を付けるか況んやおや。
取り敢えず「クラシック」のイッチャン鉄則・グランドルールの見解から言えば、おかしいよ、それは余りにも。
『良い悪い』とか、
『好きキライ』とかの問題じゃなかんべぇよ。
作曲者が、
『何を求め』そのために、
『何を』
『どの様に』
『記譜』したか、が最優先プライオリでしょうが。
が、この正論だけで閉じて良いものか?
オレは、もっとず~っと深き病理が潜んでいると想う。
まず、演奏者ならばクラシック、それも史上最高の楽聖の一人の作品だもんね、楽譜の遵守が身に付いているハズだ。
「この指示、あたしキライ」だから
「こう弾きたいのよ」
なんぞ、思いもよらぬ事である。
てか、思いつきもしないよ。
それっくらい楽譜至上主義を叩き込まれて成長してゆくのよ、クラシックの演奏家って。
だから少なくとも、これは演奏家の思いの現象では無い。
すると「オーディエンス」の願望、という事になる。
しかしオーディエンス即ちライブなりオーディオなりの鑑賞者も、様々な趣味嗜好を持っている。
楽譜のリファレンス無しでの鑑賞である以上、譜面通りなのか否かなんか分かるもんじゃないじゃけん、
「善し悪し」と
「好きキライ」の
あり方は色々なんだから、演奏だって聴衆の好みに応じて多種多様になったって良いだろう。
断言しよう。
だからこれは『ライブ』聴衆の願望では無い。
『オーディオ』マニアの願望の表われだ。
何故か?
ティンパニー(=打楽器)に、ハーモニーを邪魔されてなるものか!
という価値観は、オーディオ観点であるとしか言いようが無いからだ。それはイコール、
♢リズム<<<音色&ハーモニー音量
という価値観である。
左様。情け無いことに、
「リズム?けけ、なんや其れ。ハーモニー聴きたい聞き手には無用やで、邪魔すんな、黙っちょれ!」
という一派の時代があるのは確かなのである。
しかもオーディオ業界とレコード産業にとっては、その種のマニアこそが、最上のお得意様なのだ。
つまり後期ロマン派に発する、ハーモニーの洪水状態の恍惚感に浸る一派の存在が、ベートーベンの演奏を歪め続ける張本人であると同時に、クラシックに於ける最大のお客さんであるというアンビバレンツが横たわっている、という事だ、そして ・・・
そしてクラシックのグランドルールたる楽譜至上主義が、なぜ第九に関してだけはシラっとスルーしているのか。
何故クラシック愛好家は、このダブルスタンダードを犯していて平気の平座でいらいれるのか。
これこそが、よりヤ闇深き問題である。
本日は此処まで。
別の機会に考査せんと。
〔註〕残存するモーツァルトやベートーベンの直筆譜は、もはや現物の状態で見る事が出来ぬ程に風化しているものが多いので、ガラス版になっている。其れを印刷したものをファクシミリと言います。
ひと時代前のオフィスマシンとは別物28号なのです。