修了式が終わりました。


1年間を無事に終え、ほっとすると同時に、さみしさもこみ上げてきます。


それは、今日まで当たり前のように顔を合わせ、36人みんなで共に創ってきた学びの時間が、明日からもう永遠に訪れないということ・・・


こうして36人が集い、同じ時間、同じ空間を共有したことは、それぞれにとって大きな意味があり、またこうして、別れの時を迎えたことにも意味があるのだと思います。




さて、子どもたちへの最後のメッセージとして、文集の最後のページに、次のようなメッセージをそっと忍ばせておきました。


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 ダイヤモンドは ダイヤモンドでしか みがけない


 ダイヤモンド。知らない人はいないと思います。みなさんもよく知っているように,ダイヤモンドは宝石の一つです。ダイヤモンドは,地の中のふかいところから原石(もとになる石)がほり出されます。ダイヤモンドの原石ですから,それだけでりっぱなねうちのあるものと言えるでしょう。日本ではほとんどほり出すことができません。
 しかし,このダイヤモンドの原石は,原石のままではけっして光りません。原石のままでは「宝石」とはよばれないでしょう。では,みなさんが知っているような宝石のダイヤモンドとして,きれいに光りかがやくようにするには,どうすればよいのでしょう。それは,みがくのです。みがいてみがいて,やっと光りかがやくようになり,「原石」が「宝石」になるのです。
 みがくといっても,それはかんたんなことではありません。なにしろ,ダイヤモンドは地球上で一番かたい石だと言われています。そのかたいかたいダイヤモンドの原石をみがくにはどうすればよいのでしょう。それは,ダイヤモンドでみがくしかないのです。かたいかたい原石を,光りかがやくダイヤモンドにするためには,同じダイヤモンドをつかってみがくしかないのです。

 みなさんは「ダイヤモンドの原石」です。
 どんなに光りかがやくかのうせいをもっていたとしても,自分をみがかなければ,かがやくことはできません。
 そして,ダイヤモンドがダイヤモンドによってみがかれ,うつくしい宝石になるように,人も人によってみがかれ,光りかがやく人になっていくのです。
 みなさんをこれからみがいてくれる「ダイヤモンド」はだれでしょうか。それは,家ぞくであり,友だちであり,先生であり,これから出会うすべての人たちです。自分のまわりの人たちとかかわり,たすけ合ったり,教えたり教わったりすることで,自分がみがかれ,やがて光りかがやくことができるのです。

 35のダイヤモンドの原石が,いつかすばらしい宝石となって光りかがやくことを心からねがっています。



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この文章、数年前に高学年向けに書いたものを2年生向けに今回書き直したのですが、書いていてちょっとした違和感を覚えた部分がありました。


それは、磨かなくても、存在するだけですでにダイヤモンドじゃないかアップ


ということです。

数年前から時代が変わったのか、僕が年齢を重ねたからなのかは分かりませんが、磨いて磨いて(努力して努力して)やっと一人前、磨かなければ(努力しなければ)光らない、というのはちょっとどうなのかなと思うようになりました。そこで、ダイヤモンドの原石ですから,それだけでりっぱなねうちのあるものと言えるでしょう。」

という一文を加えてはみたのですが・・・子どもたちは、どう受けとったのでしょう?


それでもやはり、仲間と切磋琢磨しながら成長し、より多くの人をハッピーにできる人になってほしいという願いは変わらないので、迷いながらもそのまま載せることにしました。






最後の日ということで、子どもたちが何やら休み時間に書いては持ってきてくれました。
手紙です。

中には前の日から書いて用意してくれた子もいて、

読んで胸がいっぱいになりました。