こんにちは☺︎

魂の望みを帆走するコーチ

Satoeです。




引用



天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず


今日、ふと思い浮かんで言葉


昨日のブログの続きでもあります。


私の母親に対してのトラウマ。
ずっと頑なに許さないと抱えてるもとをたどれば、



対等に接して欲しかった。


人として尊重して欲しかった。




ここを望んでいたんだということに

気がつきました。




誰でも人は、


賞賛されたい、自分の価値を認めて欲しい


そんな欲を持っている。



自然な欲だと思うが、

その欲があまりにも強すぎる人っていうのは、



自分が自分の価値を認めてないから、

外(誰かに)求めにいき、

少し心に飢餓を抱えている。



自分の内側にある空洞を

誰かに埋めてもらいたがっている。



“ちょうだい!ちょうだい!”と。



だから、

自分より下をつくろとする。



自分より下の人を探す。



肩書きにこだわる人は、

自分の内側を疑った方が良いと思う。



人よりできる自分、賞賛されたいと思う気持ち、ドヤ顔のあなた、本当に気持ちいいか?

一回疑った方がいい。



昔の私もそう言う部分はあって、

外からじゃ絶対埋まらないんだよね。






私はさ、そんなエネルギーを人から受けた時、ドン引きしてるのに

場をかき乱したくないからさ、



「へぇ、凄いですね」



なんて、適当なことを言ってしまう真顔



すると、



自慢したい人は上に

私は下にいくことになる。





わたしが、

下を選んでいるということ。




これまでバカにしてくる人いたけど、

笑って誤魔化して、



相手を調子に乗せてたのは、

私だったガーン



トラウマ=才能だ



私は

対等でいたい。



それが魂からの望みで、

私が大切にしている価値観。



人に上も下もない。



私たちはみんな、

神のわけ御霊



もとを辿れば一つの魂で、



私達の才能は神さまに与えられたもので、

人に自慢する為のものではない。



才能は自分のものじゃない。

ただの役割だと私は思う。



私はおしゃべりが得意で

計算が苦手。



司会は私がするから、

経費はあなたがやって。



みんな平等に役割があるだけなのに、



おしゃべりが得意にも関わらず、

私には人前で話す才能ないとか謙虚なふりしてるのも、何だか違うわけ。


役割の放棄で、

これは、自分を下にする行為になる。



自分を誰かの上に置くことなく、

下に置くことなく、



ありのままの自分を自分が認める。



下にされてるなと思ったら、


「そういう言い方は少し違和感です。」


曖昧にせず、そんな風に言っていくことが

自分で自分を大切にするということかなと思います。



自分が自分を尊重することで、

人からも尊重されるようになる。



それが、この世界の法則なんじゃないかな。








    

 

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それでは、

今日も素敵な午後をコーヒー




Siamo felice



Satoe