181008 坂村真民さん 61 タンポポ魂 | まめ助

     

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    <食について>
     
    真民さんは 作られた詩を
    若い者に読んでもらいたい と言っていた。

    少年たちの起こす犯罪は 後を絶ちません。
    日本の社会事情、教育状況、政治状況
    そのようなものが背景にあると言っていました。
     
    若い人にだけ罪をかぶせるのは間違い、
    大人が多くの責任を持たなければならない。
     
    この日本の乱れについて 真民さんは
    食の乱れも原因の一つと言っていた。
     
    江戸時代、水野南北が
    「すべての運命は食からだ」と言っている。
     
    今の日本人、皆がそうではないが・・・・、
    食を慎まなくなってきた と真民さんは
    言っていました。

    様々な会で 食べ残しがみられる。
    「いただきます」
    「ごちそうさま」
    こういったことばも少なく、
    食べ散らかし、残れば捨てる。
     
    食の乱れ は 人間の乱れ
    そして 家庭が崩れ 日本全体が乱れる。
     
    このことについて 真民さんは
    一所懸命 警鐘を鳴らした。
     
    真民さんは 一日二食主義でした。

    面白い話があります。
     
    入れ歯をしていた真民さん
    女の歯科医者さんが言います。
    「わたしが作った歯はあなたを幸せにします」
     
    真民さんは
    「いや 僕は食べるための歯を作るのでは
    ないんです。食うための歯はやめたから
    もういいですよ。僕は教員をしていて 声を
    だして月給をもらっている。だから、
    声の出る歯を作ってください」
     
    真民さんは、その後、一度たりとも病に
    会ってはいない。

    水野南北の本を読んでからは、真民さんは
    食べることへの執着は捨てている。

    このことで 真民さんの運命が変わり、幾つもの
    難を逃れてこれた と思っていたようです。
     
    日本が乱れに乱れているのは、飲食に感謝と
    いうものが無くなっているからだと
    真民さんは言っていた。
     
    日本が貧しくなればいいとは言わない。
    しかし 米一粒をも大事に食べた昔に
    気持ちが戻っていって欲しい、そう思っていた。
     
    若い人だけを責めてはいけない。
    政治家も、教育家も、宗教家も、すべてが食を
    見直し、日本のことを思い、これから生きていく
    若い人たちのことを考えていく。そういうことを、
    一つの生き方とすることによって、若い人たちも
    希望を持って生きていけるようになるだろう、
    そう言われた。
     
    それこそが、「宇宙のまなざし」であるという。
    日本全体、地球全体、宇宙全体から見るまなざし、
    そういう無差別、平等のまなざしを持ち、
    愛情溢れる生き方をする人が
    一人でも多くなってほしい、と真民さんは願い、
    そういう願いを込めて、真民さんは詩を作っていた。
     
    若い人たちに 詩をもっとよんでもらいたい、
    読んでもらえるといいな・・・、
    これが真民さんの思いである。
     

    タンポポ魂
     
    <坂村真民>
     
    踏みにじられても
    食いちぎられても
    死にもしない
    枯れもしない
    その根強さ
    そしてつねに
    太陽に向かって咲く
    その明るさ
    わたしはそれを
    わたしの魂とする

     
     

     

     

    何回も

    何回も

    唱えてきた

     

    タンポポ魂

     

    これからも

     

     

    まめ助
     
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    坂村真民 さかむら しんみん
    1909/1/6 ~2006/12/11
    仏教詩人 本名 昂(たかし)
    癒しの詩人
     
    坂村真民さんと第百番碑(愛媛県砥部(トベ)町)
     
    愛蔵版 坂村真民詩集 「朴のしおり」 より
    わたしが詩に打ち込みだしたのは、戦後、
    四国にやってきてからである。当時、ヤミ商
    売をしながら 巡査に追われ、こん棒で叩き
    つかれながらも懸命に生きていた人たちが、
    わたしの詩を読み、「真民さんの詩集を懐に
    入れていると、叩かれても痛くありませんよ

    と言ってくれた。それが、わたしがこれまで
    詩を書いてきた原点なのである。だから、
    わたしの詩は、生きるということと切り離せない。
    生きるために苦しみ、泣き、さげすまれ、
    はずかしめられ、それでもなお生きようとする、
    そういう人たちに捧げる。それがわたしの
    詩の生命なのである。
    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇