本日2記事目


父の愚痴ばかり言った母が、家でをし、その後離婚したのが2013年で、

2014年に母は仙台に越してきてくれた。


わたしが、一人暮らしだった母に、仙台に呼んだのである。



わたしはこの10年何があったか?と振り返ると

母をきっかけに人生が大きく動いたとも感じている。



2014年までずっと専業主婦で、パニック発作に怯えて暮らしていて


母が仙台に来た2014年。

その暮れにブログを開設したら

あれよあれよという間にファンの人が増え、

わたしはフリーランスで仕事をするようになった。



それは、外に出ることが怖かった私に

母が近所にいる、という何にも変えられない安心感があったから。


仕事をしてみよう

新しいことにチャレンジしてみよう


母がいたら

なんでもできる気がする

と思ったのも確か。



母は私にいつだって自信をくれたり

わたしがどんなに素晴らしいかを気づかせてくれる人でもある。


私が日々の気づきを母に話すと

誰よりも目を輝かせて聞くのは母で、

一番に感想をくれ、

それがどんなに人にいい影響をもたらすか、私に語るのだ。


仕事をするようになった2015年、母にバイトを頼み

家の洗濯や茶碗洗い、掃除を時給で支払い、


わたしはブログを書いたり

カウンセリングやスナックの仕事に没頭。



離婚と同時に美容師を辞めた母はそのことに未練がなかった。


私をサポートしたり家事をする時の方がイキイキとしており

本来の母は巣作りや家庭作りに長けていると感じたことがある。


スナックで県外に行けたのも、

母のサポートがあったから。


青森、東京、横浜、茨城、大阪、京都、名古屋、


などなど

どこにいくにも母は嬉々としてついてきて


私が仕事の間は自由に観光して、決まった時間になるとホテルに戻っている。


2人でいろんなホテルに泊まる実験もした。

古いクラシカルなホテル、ビジネスホテル、温泉付き、ラグジュアリーな高級ホテル。









新幹線もグランクラスにも母と初体験。

2019年には赤毛のアンが大好きな母に、私も影響されプリンスエドワード島にいくことも叶えた。







19歳で家を出て以来の

母と過ごす親子の時間は

まるで同じクラスの気の合う女子同士で、

電車や行き先や道を間違えても、それは大きな問題ではなく

笑いの種として女学生のようにケラケラと笑って旅をしていた。



ずっと、

「母は私に無関心。」

そう思ってスネ散らかして生きた私に

私は決めたことを応援される娘と気づかせてもらった。


こんな楽しい日々をギフトでいただいたと思っている。



夕方に台所に2人でたち

話すのは、こうした旅の楽しい記憶で


おしゃべりする度に

嫌な思い出ではなく

幸せの詰まった宝箱を開けて楽しむ、これが日々の習慣となった。



カナダの話なんて毎日毎日している笑


離婚しなかったのはお金が不安だったから、と話していた母。

愚痴や文句だらけで険しい顔だった母が、


10年前から体験や愛情や幸せなことにお金を使う。


旅やわたしや夫へラーメンをご馳走したりすること。


そしてずっと幸福を味わい尽くす。



あの時、旅にお金を使わなかったら

結局は日々のどうでもいいようなことに

同じだけ消費や浪費したんだろう。

なんの記憶も残さずに。



筋肉隆々で、逞しかった母は、今ではか細い手足になり

風に飛ばされそうになりながら歩く。


ラップにくるんだ冷凍ご飯を、チンしたつもりが

トースターで焼いており

母はショックを受けていた。


いよいよ留守番を1人でさせていいか?

母はおかしくなったら施設に入れてね。と話す。


この10年の母が私にくれた輝きの日々を思い出して

幸せで涙が出る。


いつまでも母が老いないような気がして甘えて頼って、

わたしは元気にもなった日々。



ああ、

あの時期を2人で思い切り体も動かせ、

いろんな体験をすることに

間に合った、とてもいいタイミングで、

と思い


未来から見たら今が一番若い私たちになにができる?

まだまだ楽しもうね。

と思っている。




Meg.