わたしの苦手なことの一つに

親しい人からのお願いを断る、がある。


今までの人生で
父からのお願いを断る、これが最大に怖くて辛いことだった。



お願いを断ったら
嫌われて関係が終わったり、
何倍もの批判や非難が返ってくるものだと思い込んでいたから。


実際父は
裏切り者!や、誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ?
恩知らず!

とわたしを糾弾した。



でも、
そんな世界ばかり信じてきたわたしに

ひとはそんなもんじゃない

あなたはそんな人じゃないよ


と教えてくれたのが
やっぱり巡り巡って親だったし
アメリカンYOUだし
カウンセラーさんだったし
平木典子さんのアサーションコミュニケーションだったし
スパスタが教えてくれたあり方、だった。


だから、どんなにお世話になり
親しくなっても

自分が興味がなかったり
中途半端な気持ちなら
お断りをする。

これが罪悪感があって
あるたびに
そうすることをしてもあなたらしくいていいと
わたしを信頼してくれた人たちを思い出してる。


皆にいい顔をしてきたわたしが体を壊したからこそ

相手の行動の勇気を、ヒストリーを労い、
お願いをする想いを想像して、

そして同じくらいわたしの気持ちも大事にする。


ただ、こうして
関係が終わってしまうこともある。

残念なことに。



ある日落ち込んだわたしに
母が、見たドラマの話をしてくれた。


スペイン風邪が流行中の時代。

小説家は幼い娘を病気でなくしていることもあり人一倍病気に関して神経をつかっていた。

そんな中、女中の一人が
若者がたくさん集う劇場に隠れて行ったのではないか?と疑い、激しく叱責をした。

女中をやめさせようとしたが
女は行っていない、と訴えた。

そのあと小説家や妻や家族が次々感染症にかかり、
一人かからなかったあの女中は懸命に家族を看病して、皆は助かる。

小説家は看病してくれた女中に感激し、あの日叱責したことを謝ると
実は女中は、劇場に行っていたと告白したのだ。

ただ、
わたしは先生がいつも書いておられることを守っていただけなのです。と。


スペイン風邪が流行り
若者は繁華街や劇場の集まりに行くべきではない、という風潮や小説家の先生の考えに

自分は背き、
気持ちに忠実にあの場所へ行ったのだと。

気持ちを大事にすることを教えてくれたのは先生なのだ、と。



母が、
あなたが気持ちを大事にしたことだって

よくわかってる人なら
理解してくれるんじゃない?


と慰めてくれた。


そんなことを思い出した。

どんなにコミュニケーションを覚えて
暮らしの中、人間関係の中でトライしてみても
上手くいかなくて落ち込むこともある。

相手の思うようにならないわたしの時に
悪いなあ、不義理だなあ、と思うこともある。

ただ自分があの時の気持ちに嘘はなく
誰かの想いを理解しながら
自分も大事にできたことは

よくやったよ。と思っている。


父は寂しかったろうな。
悲しかったろうな。
いや、
腹が立ったかもしれないな。
憎たらしかったかもしれないな。

あんなに聞き分けがよくいい子だったわたしが、
ある日共感しなくて
断ったり
父の思う通りにならなくて。

でも、だから今
こうしてわたしは父のことを好きなままでいられてる。

我慢しなかったから。

父のように生きてみて
どんなにか勇気や努力をしたか思い知っている。

そして、わたしがお願いしても誰かは断るのだ。
娘のように、軽々と。

そんな関係をやはり築きたい。
自分も相手も大事にしたい。


そう教えてくれたメンターたちに感謝しながら。




Meg.