ハイ!実話です。


自分は何か足りなくて

いつも足さなきゃいけない、

って思っていました。



いつもナイばかり探して見つけて嘆いて、


でも世界はそんなものでしょう?と思っていました。




みんな、ナイナイと言ってた。


わたしの父や母もきょうだいも、
親戚も友人もそうだもん。

って思ってたんです。




当たり前に、娘の存在も

何か足りなくて、

何か足さなきゃいけないと見えている。





娘自身は当時、
このまんまで自分はパーフェクト、と思ってるので


わたしから
”あなたは足りない!”

と言われたら
断固拒否しました。


”体操教室になんでわたし行かなくちゃ行けないの?”


わたしはこの質問に



”これはママの命令!!”
”行かないと将来あなたが苦労するんだから!”
と答えていたんです。


娘は泣いて泣いて
絶対行かない!と言いまして


わたしも諦めたんです。






あー、

わたし不安だらけでした。



わたしが、

でんぐり返しができない子供は、


いえ、母親のわたしが、

馬鹿にされる、評価が下がる、価値がない。


そんな風に自分を思って
扱っていたから。




周りも足りない人を責め、
攻撃する人しかいないと思う世界に住んでいたんです。






娘は二十歳になり、
今もでんぐり返しができてない。

で、何も問題など最初からあるわけなくて、


身体を動かすことより
家の中で好きなことしている。


ただ、そこに佇んでいるだけで


愛情を注がれ、
わたしに愛情を無償で与える存在に見える。



わたしがわたしを

このまんまでパーフェクト。

と愛し始めたら、


世界はアルに変わり始めました。






リビングからトイレに行くまで遠くて、
玄関から先へ今日は出られるだろうか?

と一日中心臓を見張り、


自分以外の人になるのが疲れ果て、


いろんな体験が目を覚まさせてくれたこと。


いろんな気持ちを味わい、
生きることで
これがわたしなんだなあと刻み込まれて
これ以外になれないのだ

とあきらめがつくまで。


わたしの壮大な勘違い。

このままでは愛されないは、
親子の間で長年繰り返されたコメディ。




ナイナイ、から、

アルアルへ。



今日も
どんなわたしに会えるかなあ?