おぞましい言葉 | きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

きょうだい児で、毒親育ちで、バツイチです。

柴田真帆と申します。
アンジェルマン症候群の兄様がいて、
過保護・過干渉の毒母を見送り、
モラハラ&パワハラ夫を捨てました。

 

毒母がわっちに求めたものは

きょうだい児であっても、

きょうだいを想ってくれる伴侶と連れ添って

きょうだい共々「幸せ」に過ごせる

という理想だった。

 

わっちはその「理想」に応えるべく

色んな方と関わりを持った。

 

“彼氏”のポジションの前に、人となりを知るために

食事に行ったりしていたのだが

これを毒母は「良し」としなかった。

 

わっちとしては、じっくり話しをする中で

兄様のような存在に理解があるかどうか

そこを見極めたかった。

だから、兄様の話は必ず、した。

 

そこで引いた人も、確かに居た。

だが、それはそれでいい。

深入りする前にわかっただけで、良かった。

次はない、ってだけである。

 

わっちも若かったので、選択肢はいくつか、あった。

だが、なかなか、この人だという人には

巡り合わなかった。

 

そして毒母は、わっちの気持ちをヨソに

猛毒を吐きつけるわけだ。

 

「今日はどこの男にケツ貸して来るんだ」

 

言われるたび、わっちは言葉を失う。

 

兄様もわっちも請け負ってくれる人って

そんなにカンタンに見つかるんだろうか。

 

当時はそう思った。

 

だが、今なら思う。

 

ケツ貸したくらいで兄様を請け負ってくれるヤツなんて

いるわけねぇだろ。と。

 

未だに謎なのは、毒母がこの、おぞましい言い回しを

いったいどこで仕入れたのか、ってことだ。

 

毒母が、生きるために

わっちの手を借りるようになり始めたころ

一度だけ聞いたことがある。

 

「“ケツを貸す”とか、そういう言い方って

誰が言ってたの?

(毒母の姉ふたり)おばちゃんとか言ってたの?」

 

毒母は、歯切れの悪い言葉で濁した。

 

一目瞭然である。

 

なるほどなるほど。

そういうことですか。

まぁ、納得だ。

 

今となっては、誰も真実を知る人はいない。

飽くまでも、わっちの憶測でしかない。

 

ただ、断片的に聞いている毒母の幼少期の話と

(毒母の次姉)叔母の見栄てんこ盛りの話と

既に早い段階で亡くなっていた毒母の長姉、

アメリカ軍人と結婚した彼女の話を

わっちなりに重ね合わせて考えるに

 

時代は「本能剥き出し」の状況だったのだろうな

と、推察するのだ。