2024年9月24日、川島なお美が亡くなってから9年を迎えることとなる。自分は川島より9歳年下で誕生日が2日違いなので、もうすぐ川島の全生涯の期間を超えるということになる。このひと区切りの時期に、これまでレビューをものしていなかった「銀幕のヒロイン」を扱おうというのも、自分のなかでひととおり整理をつけておきたいという思いがあったりする。奇しくも、1984年9月29日このアルバム発売日より満40年も近い。歳を取ったものだ^^; 実は、当時放送していた川島のラジオ番組にてこのアルバムの発売を知り、(当時のオーディオ環境の問題でカセットテープの方だったが)人生最初に買ったアルバムであった。次がファースアルバム「Hello!」(1982)だったので、奇しくもこの2枚のアルバムを取り上げるのが遅れたのも、ある種の気恥ずかしさが関連しているのかもしれない^^;

 

前記のとおりこのアルバムについては、リアルタイムでラジオ番組から情報を得ていたが、当時川島の愛好していた往年の映画をモチーフにした曲をベースとして組まれている。また、参加しているアーティストの陣容が豪華だ。当時映画で共演した阿木燿子への「営業努力」が叶って2曲詞を書いてもらったというエピソードはラジオ番組で耳にしていたが、渡辺真知子も2曲曲を提供している。その他、以前のアルバムでも参画している杉真理・売野雅勇・井上鑑・伊藤銀次など、この時期知名度の高い人が顔を並べているのが壮観である。他の川島のアルバムを措いて2022年末にCITY POP Selectionsと称して再発されたというのも、この顔ぶれによるところが大きいのではないだろか。

 

もっとも、上記のような気恥ずかしさもあって評価が辛くなってしまうという面もあるのかもしれないが^^;、この面々が川島の思い入れに着いていけず、中途半端な出来になってしまったきらいがあるというのが、自分にとってレビューを書くのにためらわれた理由である。むしろ、映画云々をあまり意識せず、マイペースで作りましたというような感じの曲のほうが捨てがたい。間奏に「星に願いを」のフレーズを挿入しているため正式名が異様に長くなっている「泣かないでピノキオ」が、以前のアルバムでも曲を手がけている田口俊(詞)及び山川恵津子(曲およびアレンジ)のコンビだけに、いかにも川島にふさわしい曲を作り上げており、これは自分にとって川島の曲のなかでも有数のものだと思っている。あと、先にシングル発売された「想い出のビッグ・ウェンズデイ」も、いちおう1979年日本でも上映された映画がベースという触れ込みではあったが、当時脚本家によるノベライゼーションを読んでみてもあまり関連性を感じなかった^^; しかし、CMソングとしての起用やシングル発売を意識してというのもあったのかもしれないが、ドラマティックな造り込みが巧みで、これまた捨て難い出来だろう。

 

このアルバムを扱ううえでもう1点重要なポイントは、川島本人が作詞を手掛けるようになったというところか。もっとも、このアルバム収録曲に関しては、みずからに引き寄せてのマリリン・モンロー観がベースになっているという「Good-Bye American Dream」が注目作という程度にとどまり、後続のアルバム収録曲に比べると質・量ともに食い足りない感が残る^^; 

 

いささか飛躍な思い込み?という感もあるが、ここで川島が作詞をものするようになったのも、川島の生涯が芸能界で生き残るため愚直なまでに差別化を試みてきた一環ではなかったかという気がしている。「お笑いマンガ道場」におけるイラストの腕前がかつて有名だったが、音楽アルバムを出さなくなってからは祥伝社の雑誌に短編小説を発表するまでに発展し、1990年に文庫としてまとめられるようになる。このあたりまでは自分も好感をもっていたものだが、それ以降はだんだん迷走しているようにしか思えなくなり、川島その人の知名度は高まったのだろうが率直に言って自分のなかではがっかりするところが大だった。その考えが変わってきたのは、出典が確認できないので正確な引用ではないが、川島が胆管癌の発病を公表した際「これまで芸能界で生き残ってこられたのだからこれからも大丈夫です」というような発言をしたらしいと知ったのがきっかけであった。川島に比べれば自分の努力などたいした成果もなかったとは思うが^^;、自分も生きていくうえで試行錯誤してきたことと引き比べると川島がこれまで試みてきたきたことも、幾分かは理解できるようになった。そして、いまは往年同様、川島の曲を引っぱり出して聴く機会も多い。波乱に満ちた生涯だったのかもしれないが、改めてこの機会に冥福を祈るばかりである。