6月だ❗️

日本でも地域によってバラツキはあるはずだが
学校ではプール開きの時期やね

でも今年はコロナの影響で、各学校ではちゃんとプール開きできるのだろーか❓
ご近所の、小学生を持つ主婦さんとの会話によると
『今年は多分、学校のプールの授業は無い(できない)と思います🙅‍♀️』なんて言っていたが‥

と、書こうと思いつつ、ダラダラしてるうちに
 もうすぐ8月やっちゅうねん叫び

さて、前置きが長くなったが
今夏は、どれくらいの学校で水泳の授業が例年通りにされているのだろうか❓

てか、既に
夏休み突入時期
  やっちゅうねんガックリ


水泳の授業をしていたとしても、このコロナ騒ぎの中じゃ例年通りと言う形では無いのだろうね‥
私が小学生なら小躍りして喜んでいただろうか💃
多分、中学生→高校生、と年齢が上がるにつれて
喜び具合が激しくなっていってた事だろうてへぺろ


ところで、自分が小学生の頃の水泳の授業といえば‥

児童数がやたら多かったので学年全体では出来ずに

奇数クラスと偶数クラスで水泳の時間割を分けていたように思う‥

例えば、小学1年生の頃は8クラス、
それを1〜4組までが同じ時間に水泳の授業を受けて

  違う時間帯に5〜8組までがプールに入る

(↑もしくは既述のように
   奇数クラスと偶数クラスで分けて入る)

学年が上がるにつれて、7クラスに減り、
小学6年生の頃には6クラスだったのだが
それでも、1クラス43人レベル 
それを、1学年の半数ずつがプールに入って
約43人❌3クラス=約129人

1年生の頃だって、8クラスだったとはいえ
ひとクラスの人数が三十数人だったかと言うと
決してそうではない

四十数人いたわけだ❗️
 ❌(カケル)4クラス分の人数が
  たった1つのプールで授業を受けるわけだ

水着に着替え終わったら校庭で百数十人が準備体操
その後、教師の許可が出てから建物の最上階にあるプールに行く為、裸足で螺旋階段を上がっていく
もちろん室内プールなんてモノじゃ無い
土地が無いのだろう
コンクリートの階段を4階分くらい登らされた建物の屋上にあるのがプールだ
その景色から見えるのも、建物ばかり
せめて空気の良い田舎の、のびのびとした
(校舎の屋上ではない)プールに憧れたなぁぼけー

さて、
建物の屋上のプールにたどり着いて
腰まで浸かる消毒水みたいなのやシャワーを通過したらやっと
25メートル6コースの1つのプールで授業を受ける

片方のプールサイド(25メートル)に男子を2列に
反対側のプールサイド(25メートル)に女子を2列に
座らせ

一緒にプールに入って指導する気など全く無い
日焼け対策バッチリの教師陣の中の1人がホイッスル持ちながら
『ハイ〜、男子の一列めと女子の一列め、
足先から徐々に水かけて胸は最後やぞー❗️
ピッ(笛を吹く音)
プールの中に入ってプールサイド握ってバタ足じゃ〜
ピー(笛を吹く音)
2列めはまだやぞ〜❗️
先生が次の笛を鳴らしたら交替じゃー❗️』

そんな感じで水泳の授業が始まっていく

当時は、今とは違い水泳教室🏊‍♀️(スイミングスクールですな🏊‍♂️🏊‍♂️)に通ってる児童なんて一握り
その一握りの数人の子たちが、高学年になると水泳の授業でだんだんと頭角を表していく🏊‍♂️

特に印象に残ってるのが男子の1名🏊‍♂️
 
凄いびっくり
 フォームが全然ちゃうやん、めちゃ綺麗🏊‍♂️

うわっ(゚o゚;;
 息継ぎ無しで潜水で25メートル行きおった
   アンタは 魚かっ🐟    ((((;゚Д゚)))))))

↑というような感じ


そして、毎年毎年、水面に顔を付けるのもおぼつかないような顔ぶれもほんの一握りの人数存在し‥
  (もちろん、毎年同じ顔ぶれ
   私はそこには一応入ってはいなかった)

そして残りの大多数がどんぐりのせぃ比べ
     と言ったところだったのである

私は大多数のどんぐりたちの中でも下の方😓
  (何をやらしても鈍臭かったですからねショボーン

それは置いといて‥
毎年毎年、水面に顔を付けるもおぼつかない子達
           (多分1〜3人程度)
    は、どうするか❓

水面に顔を付けるのもおぼつかない=他の子たちに混ざってフシウキやクロールの練習なんてできないわけだ

私が小学生の間、多分毎年のように見てきた
     その子たちの別枠指導❗️

教師に、プールの端っこに呼ばれる→
言われた通りにプールの端っこに少人数で集まる→
プールサイドの上から教師がその子たち用に碁石をパラパラとプールの底に投げ入れる

他のその他大勢のどんぐりのせぃ比べのドングリ達と
一握りのスイミングスクール行ってますよ組が
他の泳ぎをさせられている間に、別枠で地味〜に
碁石を拾わされる

まぁ、水を怖がらずに顔を付けれるようになる為の練習
(↑その子たちにとっては荒修行❔)なのだろうが
私たちは普通に『碁石拾い』と呼んでいた

その碁石拾いの定番メンバーをただ1人だけ覚えているのだが
当時(この子、もしかして私よりオトナシイんでないかい❔)と思う女の子であった

1回1回、なかなかの覚悟とためらいを持ちつつ
そっと潜ろうとしているが、なかなか勇気の出ない様を覚えている

昭和50年代に小学生時代を過ごした方達の学校プール授業の
『泳げない子の別枠指導あるある』の定番なのだろーか❓

てか、当時も子供心にうっすらと
『先生らもプール入れよ❗️』と思ってたものたが
大人になった今はもっと思う

『アンタら日焼け対策して、帽子なんかも被っちゃって、プールサイドの上から笛吹いて命令するだけとか
碁石ばらまいて集めさせるだけとか
楽な仕事やの〜えー
プールに入って、手取り足取り、フシウキの1つも教えてやれよ🗯』 デレデレ