「僕はオーラが見えます!」なんてエイプリルフールにもならない内容ですが、

今日に関して言えば、電車では尚更感じやすいのでは?

 

「新入社員ってなんであんなに見てわかるんだろうな?」

と僕が学生の頃に、父が言っていた。

 

今日、僕自身も電車内でそう感じた。

何がそう感じさせるのでしょうか?

 

スーツが新しいから?

髪型?地味だから?

若いから?

 

何かコレ!という物理的な特徴を考えてみましたが、とても難しい。

1つの要素になったとしても、どこか要素が足りない。

 

感覚として似ているのは、

「舞浜駅からディズニーに向かう人々」と「品川駅の港南口への通路を歩くスーツの人々」

の違い。

空気感がまるで違うあの感じ。

 

私服とスーツ、だけの差では表現しきれない違いがある。

 

「品がある」「オーラがある」

抽象的だが、確実にあるだろうと思います。

 

もちろん、

髪や肌が綺麗、などの清潔感もあるでしょう。

人相や体型などのさらに視覚的な要素もあるでしょう。

 

これらを総称して、「オーラがある」と表現するのだと思います。

 

論理的に要素出しをする上ではこの内容では足りませんが、

日本人であれば、

・健康的な生活

・他者への配慮や気配り

・武士道にもある、礼儀や仁義

・知識教養

などを正しく体現しようすると、

「オーラがある」という境地に近づくのではないのかと思います。

 

敢えて、英単語の意味でも考えてみます。

【culture】

多くは「文化」と訳すことが多いかもしれません。

 

しかし、他の意味もあるのです。

「教養、素養、洗練」

これもcultueの和訳なのです。

 

つまり、ただ単に習わしを踏襲することが文化を作るのではなく、

「教養、素養、洗練」の集合体が「文化」である、と捉えると、

 

「オーラ」という抽象的な感覚は、

そこに見えるその人の、

知識/教養/健康・・・

などの各要素を総合的に認識しているのではないか?

そんなことを思ったりします。

 

祭などの祭事が慣例的に、

その行事の意図が見えなくなっているものもあります。

 

だからといって、

”目に見えてお金が掛かるから”

という要素だけでは、

”何年も積み重なってきたもの”

を否定する事はなかなか難しいのではないかと思うのです。

 

花火や祭が中止となったり、

女人禁制とされていたが、男女平等の下、女性解禁となったり。

 

 

何かを大切にしたい。

何かをやめてしまいたい。

 

ある1つの要素だけで判断つかないものを決定づける指針は、

「理念」

だろうと。

 

行動→目標→目的→理念

の順に抽象度は上がり、

具体的な視点は理念に沿っているかどうか?

全てはそこに繋がっているかどうか?

 

価値を置くべきは理念だと。