知り合いに塾の先生をしている20代の女性がいる。
主に受験前の中学生を受け持っているらしいが、介護の経験を活かし障碍者の勉強のお手伝いも買っているという。
 
私のような年配者はいないのかと訊くと他の先生で見ている人もいるとのこと。
でもその後の彼女の言動がなかなか辛辣だ。
「後先短い人を教えるよりも、未来のある子供達を学ばせる方がよっぽど価値的」
 なるほど、それはそうかもしれないと思いつつ疑問点も残る。
なぜなら、「明日死ぬように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」とのガンジーの言葉が焼き付いているからだ。

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まあそれはいいにしても、次に「わしらの時は塾なんて一部のもんしかいかなんだけどな。小中学校の間、塾での勉強まで必要なのかな  」
とちょっと意地悪な質問をした。
 
「それはその子の将来のため。少しでも良い大学に行って有利な就職をするためには必要でしょ」
当然の如く答える。
 
つまりは他人と差別して勝ち組負け組という考え方だな。
前者に留まるには将来のために今を犠牲にすることになりはしないかと老婆心ながら言いたくなる。
 
そう言えば、私の店のバイト君たちにもカブトやクワガタなどの虫さえ触れぬばかりか、可愛いアマガエルを見つけて悲鳴を上げる子もいる。
しかも女の子ではなく男の子に多い。

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田圃の蛙を草で作った細工物でしゃくったり、それを放り投げて電線に引っ掻けて遊ぶという残虐な少年達などもういない。
残酷だったが、そうして命の大切さを徐々に知り大人になった。
そんなことは無駄なことだったろうか?
 
里山を冒険したり、急流で深場のある川に飛び込んだり、玩具の刀やピストルを持って近所を走り回ったあの幼少時代の姿は、今の時代に殆ど見ることはなくなってしまった。

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子どもたちは勉強の合間に親の目を盗んではゲームの架空世界に酔いしれ、そこに自由になれない心と身体(仮想の自分)を戯れさせる。
通貨まで仮想になるのだから、これまた時代の潮流と呼べるのか。
 
しかし、考えてみて欲しい。
今は今しかない。
そのことを気付かなかった私はどれほど悔やんできたことか。
 
子どもの幼児期、もっと一緒に遊んで思い出を作りたかった。
親をもっと大切にしたかった。
恋人に優しくありたかった。
親友ととことん若き情熱をぶつけ合いたかった。
厳しい練習に逃げ出さずに最期まで成し遂げたかったラグビー部。
数え上げたら切りが無いほど、今を生きてなどいなかった。
 
子どもには子どもの時しか出来ないことがある。
何も勉強するなと言っているのではない。
勉強すべき時に勉強しなかった自分を誰よりも後悔しているのは自分自身だから。
ただ、将来のために、将来のためにと今を犠牲にすることの無いようにと祈りたい気持がある。
 
そしてそれは今を生きる自分に突きつけられている課題でもあることを付記しておきながら。
 
 命あるうちに。
老い先短い身であるから(笑)。