真実の春

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長く居着いた寒波が去ったらしい。
春は遠からじ。
 
季節は振り向きもせずに次々とその折々の風を送り届けるけれど、下界に住む私たちには目まぐるしく移り変わりゆく事象の足跡を辿る暇も与えてくれはしない。
 
閉じこもった日常という空間では、どうして自分だけがこんな目に遭わなければならないのかと理不尽な思いを抱くこともある。
 
病気や事故、不幸な出来事、親子や夫婦、家族の諍い、愛する人との別れ、反対に会いたくもない人といることによる苛立ちや憎しみ、それらをひっくるめての生きてること自体の苦しみなど、個人的にも国レベルにおいてもこの世はまさにお釈迦様が説いた生老病死の四苦をまざまざと表現しているかの様相だ。
 
なぜこのようなことが起こっているのか。
 
耳を塞ぎ口を閉じ目を瞑って逃げても、どこまでも追いかけてくるこの現実。
あるときは切り離し逃げ切ったかのように思っていても、何年か何十年か先でまた同じような現象が形を変え、人を代えて同様の体験を味あわせる。
 
これはどうやら、自分に与えられた課題だとようやく気付いてくる。
この世に生まれ落ち、何か知らないが全体の向上のために個人が成長するように仕組まれたものではないかと。
 
次元が異なるところから観ると、小賢しい災いごとに振り回されているだけだと言えるかも知れない。
一歩引いて、鳥瞰すれば真実が見えるのだろうか。
 
目の前で傲慢な態度を振りまく奴ら、人を小馬鹿にして我こそ偉しと肩を怒らす鈍感者。
堪忍袋の緒が切れそうになって1、2、3、息を吸いこむ。
 
そうしてその背後にあるストーリーに想いを馳せる。
なにが彼ら、彼女らをそうさせるのかと。
 
幼少期の虐待、厳しすぎる躾、虐待、児童期のいじめ、様々な要因があり、自己を存続させるため、存在感を維持するためにはそうした生き方しか他になかったのではないかと想像する。
そう言えば、私にもそんな時代が、いや、今も尚、人知れぬ課題を引き摺ったままあるではないか。
 
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結局必要なのは、赦しと軽々しく言いたくはないが愛なのではないか。
 
現象面だけでは捉えられない真実の理由。
そこに目を向けなければどんな些細な問題の本質さえ見失ってしまうようだ。
 
毎日繰り返される細々とした出来事に感情の起伏を上下させながら、今にも爆発しそうな時限爆弾を抱えたままになる。
 
負けるな自分と心で呟く。
春はもう目の前にやってきてる。