人生は回るルーレットのように

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そもそも人生は不可思議だ。
人の命も風まかせ、雲のように生まれては翻弄され、姿形を変え、やがて消えていく。

爆弾が雨あられのように降り注ぐ中でも生き残る人がいる一方、たった1発の弾丸であえなく倒れ果てる人。

大きな災害に見舞われながら奇跡的に助かりもすれば、前触れもなくいきなり明日を失ってしまったりする。

それは宿命ですか?
運命ですか?

「神はサイコロを振らない」

すべては因果論、原因があり、それにしたがって結果が決定するという、当時急進的でありながらもどちらかと言うと古典物理学的な考え方に軸足を置いていたアインシュタインは、量子力学の新たな発見である「どんなことも確定できず、確率でしか予想不可能」とする不確定性理論に反発してそう言った。

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その後の研究、実験では、ボーアなどの後者の考えが実証され、アインシュタインは間違っていたことになっている。

神は遊びのようにサイコロを振るということだ。
この世で絶対的なものは何もなく、真実はすべて確率で出来上がっているのだと。

たまたまそこにいたからたまたまそうなった。
そういうことになる。

正しいもの、良い人が栄えるとは限らない。
善悪ひと塊りになって表が出るか裏が出るか、誰にもわからない。

量子学的には、観測という人の意識が介在してはじめて、その波は粒子という物質になり、どこにいつ現れるかが決定される。

つまり、人間意識が最も重要になる。
人の細胞や生命も粒子の集まり。
ある時には見えない波動、どこにあるか、いつ発現するか分からない波。
それが確率的にいつかどこかで物質になり、命の灯火灯す。

この世を作り出しているのも意識。
神ではなく、人の心が確率という可能性を与え、存在させている。

だから自分が作り出しているに過ぎぬ現実が、良くなるのも悪くなるのも自己次第。
可能性を縮めているのは、そこに限界線を勝手に引いているから。
本来、無限の力を秘めているのが人間の意識だ。

やりたいことができずに悶々としているのは、自分には無理だと決めつけ、自ら制限をかけているからに他ならない。

どうするのか、最終的決定権を持つのは自分しかいない。

ルーレットは回り続けながら、どこで止まるのかを人の意識に委ねている。
人生という確率の中で。

とすれば、社会や科学を裏付け良き方向へと導く人間意識の改革が必須になる。
それには教育や宗教の役割が大きい、と言うか、それしかないと思える。

そのためにはまず私たち一人一人がいかに自分を作っていくのか、自らに問いかけねばなるまい。
ただ、自分に慢じることなく謙虚に、すべてから学ぶ姿勢を保ち、己の発する心の声と、他者(この場合ありとあらゆる存在、考え方、体験、理論、思想などと言う意味)の声を擦り合わせ、咀嚼し、声を上げていくことが何より大事になる。