夢から覚めたら

子供の頃からおっちゃんと呼んでいる人がいる。

若い頃、と言っても40代半ばだったおっちゃんは、金を回し、土地を転がし、人から憎まれても血気盛んな手腕を発揮しては自分の商売をこの町一番になるほどに伸ばし、商事会社として手広くやっていた。

まだ小学生だった私をしょっちゅう、当時ブームになっていたボーリング場に連れて行ってくれたり、趣味の狩猟の犬代わり(たとえばライフルを構えるおっちゃんのいる場所から反対側に回り、林に小石を投げておっちゃんの側に獲物を追い立てたり、仕留めた鳥を拾いに行ったり)に使っていた。

叱られた記憶はない。
かなり可愛がってもらっていた。
だから犬のように懐いていた。

何より、元教員でもあったおっちゃんの教養に溢れ、社会や人生に目を向けさせる、興味深く面白可笑しく噛み砕いた話を聞くのが大好きだった。

まるで父親のいなかった私の父親代わりのような存在だった。

現在、おっちゃんも80代後半になりはしたが、それでもまだ元気にあちこちを、昔のように大型の外車ではなく小型乗用車で走り回り、息子たちの家の草むしりや植木の剪定をしたり、現役バリバリの時のきつい貸金の取り立てではなくして、関係してきた人たちを心配して訪ねては近況を聴き回っている。

私の店にも、畑で採れた野菜や何やら、事あるごとに届けてくださる。
毎年のようにこの春も、あちこちに点在する所有地の一つの竹やぶに生えていた筍を持って、ひょっこり訪ねてくれた。

お礼を言いつつお茶を出し、おっちゃんにカウンターに座ってもらった。
店忙しいか?とか色々尋ねられるのだが、昔に比べて比較にならないくらいに声が小さく、滑舌も悪く、言葉が聞き取りにくくなってしまってることに愕然とし、一抹の寂しさを覚えるのだった。
強くて優しく、時に怒ると鬼のようだったスーパーおっちゃんが、いつの間にか好々爺になっていた。

そんな思いを察したのか、本人も、「だんだん体が鈍くなってきた。お前は幾つになった?人生なんてあっという間や」

そう言ってニヒルに笑った。

夢を見てるんだ。
そう、おっちゃんも私も、誰もが長いバーチャルを見続けている、そんな気がする。

そしてこの夢の中で深い眠りについたら、ようやく目覚める。

これまでのすべてが、そこではじめて見渡すことができる。

人生とは何か、この悲しみも、あの喜びや苦しみも、何故経験せざるを得なかったのか、様々に過ごしてきた一つ一つの出来事の意味が分かり、生命の謎が解けていくのだろう。

そんな夢の人生の中でまた夢を見る。

誰もいない黄昏の公園のブランコに人の影が微かに揺れている。

夕日に染まった初老の男だった。

まるで黒澤明監督の映画『生きる』のワンシーンに似ている。

ある日、定年間近の役場勤めの主人公の男性は、癌であることを突然宣告される。

意気消沈して病院を出て、放心状態でとぼとぼと歩きながら、急に輝き始めた住みなれた町を眺め、知らぬ間にたどり着いた公園のブランコに座り、自分の一生を振り返って居た堪れない気持ちになる。

(俺は今まで何をしてきたのだろう。
波風立てないように平々凡々と、大人しく、周囲に気を遣い、合わせて、家族のためにも毎日真面目に公務員生活を送ってきた。

だけど……。

何なんだ、この空虚さは。

本当にしたかったことは別にあったのではないか。

このままじゃ、死ぬにも死に切れない)

そして男は、これまでの生という場所から切り離された死の淵で、はじめて解き放たれた自分の心の底から込み上げてくる想いに耳を傾ける。

(誰かのために何かを残したい)

人生のタイムリミットを叩きつけられた末の答え。

そしてそれは自分のためでもあった。

そうして誰もが実現不可能で無謀なことと一笑した、町中に公園を作るといプロジェクトを立ち上げる。

結果、夢を叶えた。

ただの映画のストーリー……。
が、その男だけの話ではない。
これは誰もが心の奥深くで感じている人生に対する虚しさであり、光明を求めている姿に他ならず、生き方への根本的な問い掛けであるはずだ。

古い映画だが、時代は変わり、いくら科学が進歩して生活が豊かになりすぎても、今も昔も人間なんて変わらないことを教えてくれる。

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五個荘 繖山から

そこでリアル物語。
別の初老の男は現在のところは健康だと信じ切っている。

が、明日の身は誰にも分からない。

ましてや50を過ぎたら急降下で人生の下り坂を駆け下りていく。

川がどこかで滝に変わるように、時の流れはある境を超えるとドラスティックに速度を増す。

心はあの日にしがみつき、おいてきぼりのまま、潤いや弾力があり、輝いていた若い皮膚は急速に皺を刻みはじめて萎み、髪は白く、哀しみの数だけ抜け落ちていく、という風に。

波打ち際、塩辛い浜風に吹かれ、ここから遠く離れていく心と痩せていく体。

だけど……。

生きる。

歩き続けていく。

この人生が夢ならば、その狭間で息を繋いでいく。
真に目覚める時があることを信じて。
限界なんて、思い込みによって決めたものに過ぎない。

人間なんて……。
だけど人間。
その程度のものではないはず。

理想論ではなく、魂の奥底で感じる別の風の音。
生と死のハーモニーと、老いと病のシンフォニーを運んでくる。
クライマックスに向かい、青天の霹靂が今訪れようとしている。

自然と緑が教えてくれている。
私たちに何が必要なのかと。
今この時、太陽フレアがいつもの一千倍もの閃光を放ち、地球上に磁気嵐が吹き渡っている。
我が生命に宇宙よ吹き荒れよと。
次に、何かを捉えよと。

身に纏った虚偽の衣を脱ぎ捨てて素直になれた時、清風が吹いて闇を追い払うだろう。
その後、澄んだ瞳に何も障壁のない世界が立ち現れることだろう。

その満ち溢れた虚空に本当の思いという筆で、本来の絵を描こう。