人生に無駄はない。

無駄のように見えて無駄なことは何ひとつない。

本当にそうだろうか?

無駄なことばかりして無駄な人生を送ってきたのではないかしらと思うのは私一人だけではあるまい。

人生を川に例えよう。

両者同じように絶え間なく流れ続けている。

その水はあるところでは我田引水されて誰かの私腹を肥やし、またある時には夢や希望という名のヨットや船を運ぶ。

帆を膨らませる風や順風に助けられて、水の力はその威力を増す。

川は真っ直ぐ目的地へと向かうだろうか?
川の水は命の粒。
最後に向かうのは海。

それまでに紆余曲折があり、誰かに何かに引き抜かれたり、壁を超え、時に地下に潜りながらも後続に後押しされて自らの進退を図る。

あるいは行き止り、溜水となって地下深く潜り込むか、空へと舞い上がり一瞬の宴に酔いしれ消え去る運命となる。

それらのどれかが無駄であるかどうかは分からない。

言えるのは、無駄であろうがなかろうが、ただ流れていくという事実。

そして、やがては蒸気となって見えなくなり、空に溶け込む。

雲に化けたり、冷却されて再び雨水として大地に降り注ぐ。

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まるで早く気づけよとばかりに、私たちの体など万物を形成する最小単位の素粒子、量子の在り方を端的に指し示してくれているかのようだ。
ある時はエネルギーとしての波動性。
またある時は収束し、粒子となって顕在化する不思議な世界。

波の時は死、粒の時は生と言える。

人生の目的は自らの心の中に戻ること。
それはつまり、死ぬことではないか?

生死の逆転の死生観。

川の流れはどうやらそこに向かっている。

どんな流れ方だって、無駄に見えたって、見えない心に還るのが究極の目的のようだ。

思考の転換、パラダイムシフト。

発想を変えればシンプルな構図が見えてくる。