この世に生を受けて、見えるもの、触れるものすべてに興味を持ち、戯れるスージ犬のハイドは、私たちに失われた本来の生のあり方を教えてくれると同時に、近代積極的に取り入れられるようになったアニマルセラピーの効果を意識させられる。

まだオムツのとれない彼女は、皆が就寝中や面倒が見られない時は檻に入れられている。
出してやると、私たちに飛び付き、持っているものや服を引っ張ったり、そこら中を走り回る。
疲れを知らず、生きんとするチカラに溢れているようだ。

今朝は檻から出すと、オムツを換えたあと、長女が朝シャンをしてやってくれた。

photo:01


photo:02


photo:03



普段はあれ程動きまくるのに、大人しく、じっとしているのが可笑しく、不思議だった。
風呂場から出てくると、本人も何があったのだろうか、というような変な顔をしている。

photo:04


photo:05



「うーん、いい臭い!すっきりした」
と、ハイドじゃなく、洗ってやった長女の方が気持ちよくなっていた。

このように、動物と接することは、人間に何がしかの影響を与えてくれる。
特に犬と人間の付き合いは長くて古い。
それは、互いに利点があったからこそであろう。

現代医学でもその治療効果に注目し、特にメンタル面での貢献が期待され、実際にかなり役立っている。
医者による治療や薬の投与でも芳しくなかった患者の病態が、動物介護療法で著しく回復した例も枚挙に遑が無い。

また、私たち健常者も、普段意識出来ていないだけで、彼ら彼女らにどれ位癒されているのかは計り知れない。

ただ、そうしたペットとの健全な関係に於いて大切なことは、一方的なものにならないことだろう。
人間と同等の権限をある意味、与えるべきである。
動物たちもストレスを感じるものだからだ。

ところで、今回の東北関東大地震でも、カラスや他の動物たちが地震発生前に異常な行動をとったり、普段と違った鳴き声をしていたことが報告されている。
やはり、動物たちは予知能力を持っているようだ。

そんな中で、私が特に驚嘆した話がある。
それは、てんかん患者を助ける犬の存在である。
その犬は、患者が発作を起こす前にそれを感知して知らせてくれるというのだ。
患者は発作を起こすと、危険な場所でも一瞬で倒れ込んでしまう。
頭を強打して重傷を負ったり、中には致命傷になることさえある。
それがどうして分かるのか、患者の傍にいるその犬は、事前に発作が起こるのを察知し主人でもある患者に教えるというのだ。
主人はそれを受けて横になるなど、あらかじめ対処が出来るわけだ。

私はその話を知り、痛く感動した。
本人でさえ予想も出来ないことをどうして分かるのか?
人間の勝手でご褒美を与えられたり、体罰を加えて教え込まれたといった、いわゆる飴と鞭によった反射運動的行動とは到底思えない。
地震が起こることによる自らの危険性に怯え、予知したことを鳴き叫ぶことによって仲間に伝えるのと同じく、主人である患者の命の危険を我が身に感じ、つまり人間の他者の痛みと同化し、救おうとしているのだ!
人間には乗り越えられない種を超えた慈悲の行動を、人間が人間より知能が劣っていることなどで差別している動物たち、この例では犬が実際にしているのである。

現代科学ではまだ証明出来なくても、事実が科学になって来たのが歴史である。
いずれ解明されるであろう、こうした動物たちの人間に対する大きな貢献能力は、最早、躾や訓練の故だとかの範疇を凌駕し、動物たちにも人間と同じ、或いはそれ以上の感情があり、人間に対する愛情と言っても良い生命の働きがあることを証明している。

そんな目でハイドをはじめ、チワワのメリー、腕白猫のモモを見ていると、追いかけて叱りつけたり、叩いたりする私たちは、深く反省させられ、その代わりに感謝と友情の気持ちが湧いて来るのである。

photo:06