天情と人情が通じる道 | サンクチュアリ伊那教会

サンクチュアリ伊那教会

私達は多くの問題を抱えながら生きています。幸せになる為に、人間本来のあるべき姿を知り、どのように生きるべきかを学び、日々の生活の中で実践して行く事が大切です。このブログを通して一人でも多くの方が学んで下されば幸いです。

真のお父様のみことば
「真のお父様の真の息子娘となろう」1957年9月15日

天情と人情が通じる道 
 歴史過程において摂理のみ旨を受け、イエス様の怨恨を晴らそうとする人間がいたら、神は彼を中心にしてさらに活発にみ旨を成し、彼の悲しみを分け合う多くの人間が、彼と共に苦労してきました。 

 アダム以後、ノアは一二〇年の間この地上に神のみ旨を受けて行きました。一二〇年の間、神の理念を地の上に現す生活、今日神アボジの心情を我々に連結させ、アボジの子女であることを実証させ、我々を中心とする生活的な環境と因縁を結ぶ土台を立てる生活であると同時に、神と通じる理念を現す生活であったのです。 

 このような境地に入れば、皆さんはアダムの立場に対して理解することができ、神に対して切ない心情を持つのです。また、ノア爺さんが一二〇年の間、不信する世の中の人々に対して切ない心情を抱いてきた心、自分だけが知る心情を無知な民のまえに現すために切なかった心情を、感じるようになるのです。 

 皆さんはノアの心情から、アブラハム・イサク・ヤコブ・モ-セ・イエス様、そして今日まで苦労した復帰摂理の中心人物たちの心情を知り、彼らのために慟哭して涙を流さなければなりません。皆さん自体が、歴史的な内容を持つ理念を、否定することができず、天倫の歴史性に背反しないならば、生活を通してこんな歴史的な悲しみを感じなければなりません。 

 今日ここの集まった皆さんは、歴史的に来ては行った数多くの先知先烈たちが、神の生活的な理念を実践するために捜し求めて体恤したことを、受け継がなければなりません。そして皆さんは死の場であっても、すべての苦難を引き受けるという覚悟を持って、すべての人々の心情に合わせて一つになり、歴史性を代身してアボジのまえに出て行く道を一致させなければなりません。 
 復帰の運命は、歴史的な悲しみの運命であることを知る以上、皆さんは悲しみの生活をしなければなりません。皆さんが神と因縁を結ぶために、神のみ旨をまえに涙することが天情と人情に通じる道であることを、知らねばなりません。それでは皆さんは、皆さん自身を立てて、「おお ! 神よ、私はどんな立場にいるのですか?」と反問して、皆さん自身を反省して見なければなりません。 

 昔、先祖たちが歴史的な神の摂理を成すための生活を体恤して、その生活を経てゆくとき、ノアの心情を知るようになり、あるいはアブラハム・イサク・ヤコブ、そしてモ-セと数多くの先知たちの心情を知るようになるのです。皆さんはこのように天に対して、万民を代表して流す涙の伝統を残さねばなりません。 

 こんなことを得ている人間は、どんなに地獄に行こうにも行くことができなくなるのです。ですから今日のキリスト信徒たちの中で、過去の歴史過程に来たが天倫のみ旨をみな完成できずに行った人類を代表して、涙を流すことができる息子・娘にならねばなりません。こんな息子・娘に、天倫のみ旨を任されるのです。また、現時代の人類を代身して、切ない心を持って涙を流す息子・娘になり、未来を案じ、万民を代身し、涙を流す息子・娘にならねばならないのです。 

 神はこのような心情を通して、現在こんな立場にあり、未来にもこんな事情におかれている息子・娘を、捜し求めておられるのです。神と正反対の生活をしている群れに対して泣き、歴史に対して涙することができる人間が、今日の終末に新しい再創造の歴史を提示する主人公になるのです。 

 神の心情を抱えて涙し、新しい理念に連結して涙する夫婦がいるなら、この家庭は最高の家庭になるのです。また、神を抱えて涙する民族があるなら、この民族は新しい理念の中心民族になるのです。この民族を通して、宇宙史的な神の全体の愛と真理が紹介されるのです。 

 過去と現在と未来を代身してアボジを抱え「わがアボジよ、悲しみを預けてください」と訴えることのできるある集まりや団体、あるいはある社会や国家があったなら、周囲にどんな強い文化があったとしても、その文化圏はある国家や団体を踏み越えることができないのです。