お久しぶりです。

ずいぶんと長い間あけてしまいました。


 これからもあいてしまうでしょうし、

もしかしたら辞めてしまうかも・・・。


 でも発信することは辞めたくない・・・。

なんなんでしょうね。


 明日、書きます、以上です。

 久しく文を書きます。

卒業・入学の時期は、忙しいですね。


 特に、今までの友達と多く遊んでいるのも、一因ですが。

今日も、幼稚園のコロの友達と「遊」んできました。


 とはいえ、男二人の散歩。

もちろん、けっしてホモではないことを強く強調しつつ、

ここに書き留めていきたいと思いますが。


 何も策を持たず。

男二人が街を行く。


 そこに一軒のカフェを発見。

入って、エスプレッソを頼んで、

「一口で飲めるだろ…これ」

っていう感じのエスプレッソ登場。


 「ちょ…これは…」


「ハハ~ン。読めたぞ。これはミルクの黒砂糖入りか。

エスプレッソは後から来るんだな・・・。」



…来なかったorz


これか…これなのか・・・。


このちっこいのが…480円か・・・。


いや、別に無いわけじゃない。だけどさ・・・。




思わず聞いてみた(テヘ)


「これ…エスプレッソですよね・・・?」


「ええ。」



マジかよorz


「この小ささって、何か意味があるんですよね・・・?」


「いえ、あまり」


なかったorz


「一口、二口ですが。それでも濃厚な苦味は口に広がるでしょう?

それは、三時間後にまたぶり返してきて、呑みたくなりますよ?」


ふ~む。


「濃厚であるが故、呑みすぎは体に毒。

そのため、そのような量になっているんです。」


意味あんじゃん、さっき無いって言ったのにorz


「あと、呑み終わったら、底にある砂糖を舐めてみてください。

チョコレートの味がしますから。」


ペロッ


!!!!


チョコだ・・・。コーヒーなのに?


聞いたらそういう種類らしい。

あぁ、ちょっと大人になった気がした。

これが文化ってか。

大人の楽しみ方っていうか…。味はもちろんだけど、

その後、三時間後まで飲みたくなるなんて。すげぇ。


しかも、マスター。凄い。ダンディーじゃないか。

絶滅危惧種として函館では天然記念物のような扱いだぞ。


やっぱり最後は人だ。


 この味だから、この店に来たいんじゃない。

この人がいるから、来たいと思う。


やっぱ人、大事。


ありがとうございました。

 こんにちは、ナナエです。

ずいぶんと久しく更新させていただくのですね。

申し訳がない・・・。


 とはいえ、その間大量の本と闘っていました。

なかなか楽しかったです。

 

なかでも、

 「わたしは、なぜタダで70日間世界一周できたのか?」

という本はかなり面白かった。

というより、こんなことやらかした著者には尊敬の念を

抑えきれない。


 そいうことは、ひとまず置いておいて。


 今回はずいぶん長い題になりました。

「コドモと恐れと悪夢と母の手」です。


 なんとなく、お分かりになります?

え?分からない?それは良かった。

ではこれから少し、説明させて頂きます。


 ですが、今回は、特に読んでおられる方の・・・

何と言いますか、こどものコロの体験が、

大きくこの文章を面白くする可能性を秘めています。


 ですので、よろしければ、コドモのコロを思い起こしながら、

読んでいただきたい。もしかしたら、

重ならないところもあるかも知れませんが・・・。


 では、まず、なぜ今回こんな題になったかというと、

昨日、悪夢を見たからなんです。

そして、今日の朝5時、僕は一人の赤ちゃんだった。

「何か」に怯える小さなコドモ。


 誰だって子供のころ、その「何か」に逢っているはず。

 

 私は幽霊だいる・いないという議論には全く興味はないのですが、

それは「何か」なんですね。


 目には見えないけれど、恐ろしい「何か」


 大人の皆さんは、最近見ますか?感じますか?


 ぼくは最近めっきり逢っていなかったんです。


 ぼくは小さい頃から、発達の遅れたコドモでした。

大人が芽生え始める小6ぐらいの時、ぼくはコドモすぎて、

クラスで相手にしてもらえなかったコドモでした。


 自分では分からないんですよね。幼稚だって。


 でも、その分周りのコドモよりも、「何か」に逢っていたように思います。


 コドモの時ってそうですよね。

みえない「何か」に怯えて、母親や父親と一緒に寝ていませんでしたか?


 思えば、自分の部屋を持ち、母親と一緒に眠らなくなった時から、

「何か」のことなんて、気づきもしなくなっていたのかも知れません。


 コドモが持っている「恐れ」っていうのは、

そういう「何か」を強く感じるから生まれるものなのでしょうね。


 そういう時に、僕は良く母に手を掴んでもらって寝ていました。

大学へ上京する今。

その手の温かみを久しぶりに思いだしました。

すっかり忘れてしまっていました。もったいないことです。


 ぼくが思ったのは、これは「何か」からの警告なのではないかと。


 現代の生活には、現代の日本には、

その「何か」が忘れられ、消えかけてしまっているのではないでしょうか。


 「何か」は、きっと日本人のココロの一部だったろうと思います。

だからこそ、それは目に見えない「恐れ」を生み、

それを和らげてくれる母親や、父親の存在が、大事に思われてきた。

でも、今はそんなに多くないのでしょうか。


 それが、非道な事件を引き起こしているなんて大それたことかもしれませんが、

そう思ってしまいところもあるように思います。


 今は安全で、「恐れ」なんてものはそうそうない。


 ですが、昔から身近に存在した「何か」は、今の時代だからこそ、

もしかしたら見つめられるものなのかも知れません。


 それは科学などを使った「解明」ではないですよ。


 ただの「出逢い」です。


 昨日、久々にぼくの身近にで出てきてくれた「何か」


 旧友です。小さい頃ずいぶんお世話になった。

だからこそ、僕は両親に対する反抗期もなく、

いま、ここにいるのかも知れませんね。


 また、時々・・・いや。怖いから、一年に一回ぐらい。

逢いに来てくれると、嬉しいですね。


 ありがとうございました。