最近、夫のきょうだいのライングループができた。

その中で、お盆のことが話題に上がった。

 

義妹が、松明について質問してきたから、

私が、それに答えていた。

 

すると、義弟(他県に住んでいる)が、

 

自分は普段から仏壇(位牌)に、

ご飯をあげたり、供養している。

松明を焚くなどの

お盆の習慣は

形式的なもので必要ないのでは。

 

という意味のことを言ってきた。

 

それに対し、夫は

私に言われるからやる

と答えていた。

 

私は、ちょっとカチンときた。

 

 

私の家のお盆は、7月で、

お盆の時は、休みではない。

お寺さんも住いから離れているので、

お盆のことを義母が一人でやってきた。

亡くなった義父も、夫も、

お盆の時にお寺へも行かなかったし、

一緒に松明を焚いたこともない。

 

 

ここ、2、3年は、

夫に一緒にお寺に行ってもらっているが、

今は亡き義母が、病気になってから、

18年間、ずっと一人で続けてきた。

雨の時も、傘をさして、松明を焚いた。

 

確かに、義弟がいうように、

お盆は形式的なものかもしれない。

でも、私も義妹も、長男の嫁だから、

お義母さんがやってきたことを

受け継いで続けているのだ。

 

 

私の実家は、8月お盆なので

お寺も家の近所だから、

家族でご先祖様を迎えに行く。

88歳の母も、

杖をついて迎えに行く。

そして、みんなで松明を焚いて

その火でお線香に火をつけて

お参りする。

 

どの家も家族でいくから

普段会うことのない、

幼馴染に会ったりする。

 

私のお盆の原風景である。

 

 

松明の火を見ると、

なんとなく気持ちが落ち着く気がする。

 

お盆は、

日本人の心を思い出す(忘れない)ために

大事なものだなあと、しみじみ思う。

今を生きている私達のために

大事なものだと思えてきた。