皆様こんにちは
リラ シアン(rira cyan)です。
いつも私の気まぐれなブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます
今回はちょっと趣向を変えて、
私が今住んでいる群馬のルーツ
を深掘りして行きたいと思います。
どうぞ最後までお付き合い、よろしくお願いいたします。
私ごとで申し訳ないのですが😅
最近の私の「マイブーム」は、
日本の古代史🇯🇵🗾
なんです。
ここ数年、神社巡り⛩をしながら、
「ご利益」や「御朱印集め」の観光だけで回るのでは勿体無い。
もっと「神道」を中心に、「日本のルーツ」「八百万の神様のルーツ」「古代史」⛩✨
を深掘りしてみたい!
と感じ、ここ最近、私なりに色々調べるようになりました。
そこで、まず1番に気になったのが、私が今住んでいる「群馬県の古代史」なんです。
私が住んでいる群馬県は、古墳時代の遺跡が多く集まる土地ですが、古代にどんな人達がそのような文化を作ったのか、深く知りたくなりました。
…ということで…
まずは「群馬」の特別史跡とされ、
ユネスコ「世界の記憶」
に登録され、
上野三碑(こうずけさんぴ)
の1つでもある、
「多胡碑」🪦(たごひ)
について深く調べたくなり、
さっそく現地に行って来ました❣️
(有名どころということで)
実際にはもっと文字がはっきり見えます
高崎市の住宅街の中にあります。
(高崎市吉井町)
建屋の中に収まっていて、ボタンを押すと電気がついて、音声ナレーションで胡碑の歴史を聴くことができます。
古代史にご興味のない方や、群馬ご出身ではない方にとっては、
「多胡の古碑」ってなぁに?
?
…って感じの世界ですよね⁉️
しかし、群馬では「上毛かるた」として子供の頃から親しまれている「かるた」の中にも出てきますので、とても馴染みのある碑のようです。
「上野三碑」とは、群馬県に所在する
飛鳥、奈良時代に造立された3つの石碑の総称です。
その中でも「多胡碑」は栃木県の
🪦那須国造碑
(なすのくにのみやつこ碑)
🪦宮城県の多賀城碑
(たがじょう碑)
とともに「日本三古碑」とされ、歴史的にとても価値のある古碑です。
(もしもっと詳しくお知りになりたい方はググってみてください)
「多胡碑」🪦
この碑に書かれている文章を要約すると、
「新しい郡を作り「羊」に支配を任せる。
その群の名前は「多胡郡」とする。
と、711年に命令が伝えられた」
となります。この中で出てくる
「羊」とは、「羊太夫」
(ひつじだいゆう)と名乗る人物のことで、奈良時代の役人とされています。
この「羊太夫」なる人物は、朝鮮半島から渡って来た渡来人
だと思われます
ここからこの碑🪦に
秘められた不思議
について書かせていただきたいのですが…
この時代の日本には
羊🐏はいません。
伝説では「羊」と名乗る人物が、
羊の年の、羊の日の、羊の刻に生まれたので、「羊太夫」となった。
…と、語られているそうですが、「羊」には、どうやらもっと深い意味があるようです。
平戸藩主、松浦清(静山)という人物が江戸時代に書いた随筆集、
「甲子夜話」の中に、
「羊太夫の碑より不思議なものが発掘された。」と書かれています。
その内容は
羊太夫の墓からは十字架☦️が発掘され、碑の側からはローマ字で書かれた銅板が出てきた。
と記されています。
発掘された銅板には
「JNRI」と書かれていたそうです。
(Jesus. Nazarenus .Rex .Iudaeorumの略)
この意味は、ラテン語で
《INRI》ナザレの王イエス
となります。
この文字は、キリストが磔刑にされた時に、十字架の上にかかげられた罪状版に記された言葉なのですが、
「大工の息子が、ユダヤの王を自称し、民衆を騙した」
と、悪意を込めて書いた言葉です。
1300年前の当時の日本に、密かに
ネトリウス派キリスト教
(唐では景教と云われていた)
が入って来ていた証拠と言われています。
羊太夫の名前の由来にもなっている羊🐏は、キリスト教では
キリストを「神の子羊」と呼び、
信者を「迷える子羊」と言いますよね。
今となっては碑に隠されたとする十字架や、「JNRI」と記された銅板の行方もわかりませんが、
古碑に秘められたミステリアスなロマンを感じてしまいます
続いて「多胡」の由来も調べてみたのですが、
多は多くのという意味になり、
胡とはペルシャ系イラン人のソグド人🇮🇷を示します。
ソグド人とは、シルクロードを中心としながら中国に入り、広く商人として交易をしていた民族で、絹や馬、ガラス類や鉄製品、陶磁器や香料、奴隷の売買など、沢山の商売に携わっていたイラン系民族を言います。
宗教は主に、ゾロアスター教、
ネトリウス派キリスト教を信仰していたようで、多面的に中国の文化に影響を与えた民族のようです。
諸説あると思いますが、私の考察では
羊太夫はソグド人、🧙🏽♂️又はソグド人に関わりを持っていた人物であり、
中国から朝鮮を経て、多くの
(百済、高句麗、新羅)民を引き連れて、群馬の地に入植して来たと思われます。
群馬の由来
ですが、奈良時代に車評
(くるまごおり)と言われていました。
「評、おこり」は「郡」と同じ政区分を表す言葉で、朝鮮語です。
その昔、群馬は「車持君」と名乗る豪族が治めていました。
「車」という姓は中国姓、又は朝鮮姓です。
群馬は「くるま」と朝鮮の呉「くれ」が合わさって、鈍ったのが「群馬」だという説が有ります。
(諸説あり)
「多胡碑」の近くに辛科神社⛩
が鎮座しておりますが、名前は韓級
(加羅.からしな)に由来するようで、 朝鮮半島の新羅系渡来人によって、創祀された神社です。
高崎市の隣に位置する安中市には、
「羊太夫🐏」をお祀りする「羊神社」
が鎮座しています。
代々、多胡一族の方々が御守りしている神社です。⛩
多胡の古碑と合わせて訪れてみました。
🐑⛩羊神社⛩🐏
羊さんの絵馬が可愛いです🐏💕
神社敷地内にある石碑には、沢山の寄進者の方々のお名前が彫られていましたが、
皆様「多胡」さんというお名前でした。
多胡郡に関わる多くの方々の渡来と共に
絹織物を中心に、それまでになかった様々な高い文化技術が、朝鮮を経由して、
群馬県の地に伝わりました。
(群馬県は絹産業、養蚕が有名です)
日本は「単一民族」だと云われてますが、全く違います。
沢山の民族の方の血と文化が絶妙に混ざり合い、今の日本を創っています。🇯🇵🗾
日本に秘められたルーツに想いを馳せ、
多くの古代人の苦労の上に、
今の私達がいるのだな…
としみじみ感謝に浸る私でした
これからも日本🇯🇵🗾そして群馬の古代史を深掘りして行きたいと思います。
今日も最後までお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます
いつも感謝、感謝です
rira_rira77777@yahoo.co.jp
RIRA CYAN