初めて妊娠した時
つわりがひどくてひどくて
びっくりした。
こんなに辛いのか。
お腹に赤ちゃんがいるって、
幸せだけじゃないんだって
生を授かる重さみたいなものを
ひしひしと感じた。
夫に泣きながら
『つわりが辛い』と訴えたら
『つわりを経験できない俺に言われても』
と突き返された。
さらにびっくりした。
え?2人の子供じゃないの?
俺関係ないの?
臨月を迎えて予定日までまだある
私は夜中に破水した。
まだ入院の準備もいくつか抜けがある
夫はいない。
不安で不安でなぜか
コンビニまで歩いて必要なものを
買いに行った。
破水を甘く見ていた私は
こんなにも水が出てくるのかと驚いた。
きっと、夜中にお腹パンパンの妊婦さんが
破水しながら歩いているのは
ホラーだったと思う。
シャワーを浴びてから病院に電話すると
少し叱られ
今すぐ来てくださいと言われ
前もって予約していた妊婦タクシーに連絡し
スーツケースをゴロゴロひきながら
タクシーで病院に向かった。
病院から母に電話する。
まだ先だと思うから、
明日ゆっくり来てね。急ぐと危ないからね。
次に夫に連絡をする。
電話は繋がらなかったので
メールを送った。
破水して病院にいます
夫はすぐに来てくれた。
どこにいたのか何をしていたのか
私は何も聞かなかった。
痛いと思いながらも
痛みにはそこそこ強かったので
まだ大丈夫、こんなもんじゃないはず
じっと耐えていたら
動けなくなった。
痛くて吐きまくった。
ふと夫を見ると、
座って吐いてる私のベッドで爆睡しだした。
到着した母が起こしてくれた
吐いてる私を横目に
『見られたくないだろうから席を外しますね』
と母に言った。
は?
母は怒っていた。
陣痛室にいく?と助産婦さんに促されて
内診をうけたら
『あら大変!全開!分娩室にいくわよ!』
って分娩室に連れていかれ
あれよあれよと1人目が産まれた。
病室に帰ると
夫と両親が待っていた。
母は、お疲れ様、と泣いていた。
夫は、『お前のお産なら俺でもできる気がする』
と笑った
なわけあるかい。
マンションで、どちらも知らない土地で、
2人の生活から➕1人の生活に
私は子育てを甘くみていた。
聞きたい事が溢れている
どうしたらいいのか正解がわからない
実家に電話をすると
いつも母や祖母が色々教えてくれた。
夫は、遅くなっても必ず帰宅し
ご飯を食べた。きっと彼なりの誠意が
それだったんだろうけど
それが逆に辛かった。
結婚してからわからないなりにご飯を
作る生活になり、
毎日毎日、ご飯と買い出しと家事と
子供の事でいっぱいいっぱいだった。
夫に、
『3食昼寝付きでいいよね』と言われた。
3食は私が作るんだがな
できる事なら
少しでいいから離れたかった。
『働きたい』
そう言ったら、
保育園にかかる費用で結局一緒、
楽しく2人で頑張ったほうがいいよと
っていや最初からお前、
なんで外部やねんお前もしろよ
とは言わなかったが
最初の違和感。何この人。
2人目を授かった。
もうワンオペにもだいぶ慣れていた。
今は禁止されている
自転車の3人乗り。
前に娘を乗せ
息子は首が座ってない時はスリングで抱っこ
首が座ってからはおんぶ紐でおんぶ。
絶対ダメですよね。
何も起こらなくてよかったと思う。
でも車は夫が使っていたので
そうするしか当時はなかった。
普段は歩きかバスか電車。
色々連れて行ってあげたくて
スリングと抱っこ紐には
本当にお世話になった。
抱っこ紐で
アバラ辺りの肉離れにもなった
尋常じゃない痛さ。
知らない土地で知らない人たち。
これではいけない、と
児童館にちょくちょく行くようになり
お友達もでき
楽しくやっていた矢先
実家に家を建てよう
となった。
夫の実家の敷地内に。
ハウスメーカーとのやりとりの間、
お義母さんが挟まり
間取りやなんやかんや決めだした。
しまいには、お義母さんとハウスメーカーさんと
2人で進めだした。
私は夫に、
『お義母さん、自分の事みたいに。おかしくない?』と言ったら
『俺の親のことを悪く言うな』と叱られ
もう私も、おかしくなっていたのだと思う。
なんでも好きなようにしてくれと
思うようになった。
待望の一戸建て。
でもそんなに嬉しくなかった。
風水だか家相だかなんだか知らないが
お義母さんが決めた
普通の家。
もっと今どきの家がよかった。
今となっては住みやすくて
まぁ感謝なんだけれどね。
最初からおかしかった
今思えばね。我慢強いってよくないです。
いくらでも、引き返せるタイミングは
あったはず
でも私にはできなかった。
本当に必死だった。
今こうなって、私には何もない事に
絶望する。