こどもらしくない、こどもが

かわいくないように

こどもらしくない、こどもが

のちのち、成長するにつれて

なんらかの歪みや幼児かえりが

あるように

おじいさんらしくない、おじいさんは

若づくりでカッコいいようで

損得勘定が依然現役、世知辛く感じられて

お金にも、モノにも、性にも、脂ギッシュで

清少納言の枕草子ではないけれど

"かたはらいたきもの"

見ていて見苦しくなるもの

だ。

若いころから、おじいさん役にかんして、

だれの追随も、ゆるさなかったのは

笠智衆さんかもしれない。

"いとをかし"

とても素敵な

おじいさん像そのもの。東京物語のころから。

ほかのひともラジオで言っていた。同感。

いまは、おじいさんらしい、おじいさん

さらにいうと、年寄りらしい、年寄りが

いない。年寄りという、枯れた儚さ、甘さ、優は

ないし、隙あらば、横どりしてでも

商品やお金や性を手に入れる。ネット時代。

電車の乗車マナーも、完全ルール無視。

そばで、母親がこどもに

降りるひとが、みな、降りてから、乗るのよ

と、制していても、

おばあさんも、おじいさんも

ドアが開くと同時に、隙あらば、隙あらば

そして、ガッチリと座席ゲット。ゾッと。。

こういった、お年寄りがあるなかで

シルバーシートの意義を遠い目でおもう。

一言で言って、たくましすぎるのだ。

昨今のお年寄りは。

アンチエイジングもある。

小綺麗な、大学生のようなファッションもある。

学生運動で血気盛んな世代が、シルバーエイジに

移行した、せいもあるかもしれない。

現役の高校生や大学生のほうが

公共の場での、遠慮やマナー、良識がある。

逆に若者は、昨今の、空気を読む、和文化世代

だから、あまりにも、はみ出た子はいない。

暴走族や、長ラン、ドカン、剃り込み、眉剃り

などは、いまの世代では、サーカスであり喜劇

もっといえば、大人社会への甘ったれ

だろう。若者世代は、まずは、社会に馴染んで

収入、生活を確保する必要がある。尾崎豊は

哀しいことに、現代では、あまちゃん

なのだ。

駅のポスターや、一般の媒体では

10代の若者の無礼や不法を標語に込める

ことがおおい。これは、あきらかに

実体をみていないことから、うまれた

建前チック形骸、ポスターや標語

小学生が、大人に気に入られるように

入選するように描いた

ポスターや標語である。

現実ニッポンでは、はるかに

お年寄りの、無分別、無遠慮、我儘、無法

がおおい。中国人旅行者もアンビリーバボー

かもしれないが、若者からみたら

お年寄りたちが、あまりにも大人気なくて

困惑しているだろう。気の毒である。

まんなかにいる、ジパングとしては

申し訳ないやら、嘆かわしいやら。。


世代的なもの、なのかな、ともおもう。

便利がふつうのあたりまえになって

さらに便利になるのがあたりまえになる更新

日本だからかもしれない。


星座盤のうつりかわりでいうと、

世代によって、カラーがかわってくる

というのは、一目瞭然に説明されうる。もの。


いまの、高校生、大学生がおじいさん、お年寄り

になるころ、そして、いま、赤ん坊の

男の子や女の子が日本の主役になるころは

意外に、もっと、建国の士、意識が高くなって

いるかもしれない、と、おもう。

情緒や、感受性、気遣い、和心みたいなものは

いまより、ずいぶん復活している

ような気がする。


鎌倉時代や、室町時代といった

境目には、世も末、という、末世があった。

芥川龍之介の羅生門もそんな頃だろう。


いまが、嘆かわしい日本でも

やがて浄土循環して

清洌な日本になってゆく、のでは、と

おもっている。


そういうもの。そういう、もの。




ジパング_φ(・_・