前回の内容の続きです。

私は、ニーバーの祈りを知る前に、宇多田ヒカルの『Wait  & See~リスク~』という歌の歌詞から先に知りました。

“♪変えられないものを受け入れる力
そして受け入れられないものを
変える力をちょうだいよ

 Oh baby, wait  and see~… ♪”

この曲、当時大好きだったので久し振りに歌ってみました。
アレ!?
私、歌えるほど、いつの間にか元気になってる?という驚きと、この曲の歌詞の中に

“♪待つのは得意じゃないけど
決めつけるのは早すぎるんだ
占いなんて信じたりしないで♪”

という言葉があって、ふと最初に相談したメール鑑定の方の内容を思い出しました。

『父の魂は、自分で人生の去り際を決められるようなところがあり、本人の頭ではその意識はなくても、魂がこのタイミングを決めていた。
そして、父の魂は元々あらゆることに執着がない魂で、こういう人は成仏が早い。
認知症が進んできて、自分が楽しめた感覚を感じられなくなってしまってきたから、父の中ではまだ頭がクリアなうちに幕引きしたい、という思いがあった。
それに、これがもう少し遅くなってしまってからの別れだったら、母は体力的にも精神的にも、喪失に耐えられなかった。だから今のタイミングじゃないとダメだったところがあった。』

これは当たっていなかったのだろうか?
電話鑑定の方を通して、父と話した時は、確かに父を感じた気がしたけど、それももちろん“本当”かどうかは確かめようがない。
『死人に口無し』状態なので、もう今となっては、私がピンとくる、府に落ちることが正解になってしまっていて、真実かどうかは別の話になってしまっている。

でも、父が亡くなってすぐにメール鑑定の方に相談して、その内容を読んだ時は、もちろん真実かは確かめようがないけど、少しだけ気持ちが楽になったのは確かだった

 母はとても自分を責めていた状態だったので、私はその鑑定の内容を母にも見せて、安心させていたけど、もしも、亡くなってすぐのタイミングで、電話鑑定の方に父と繋がってもらって、父の本心は母に対して憤りを感じているということを知っていたとしたら、「父はもっと生きたかったのに、可哀想だった」と、もっと更に嘆き悲しんだかもしれない。
母にも、そのことを知らせることはできなかったったと思う。

今、冷静になって思うのは、父の頭の意識と、魂の計画が別々だとしたら、どちらとも正しいとも言える。

もし違っていたとしても、そのメッセージを受け取れたタイミングは、亡くなった直後のショックな状態と、四十九日経った時では、 私のエネルギーは違っていたはずだから、その時の私が、 無理のない歩幅で一段、階段を上れるよう、 手を差し伸ばしてもらえた“天の計らい”だったのかもしれません

亡くなった直後は、死は悪いことではない、という情報を目にすることもあり、そのメール鑑定の方の言葉からも、『死んだ後は解放されて、とても自由になって、自分の思い通りの世界を楽しむことができる。父には悲しさや執着は一切ない。これがあると成仏はできない。』と、これを信じるとしたら、残された側は前を向くしかなくて…。

だけど本人にとっては成仏した方が良いに決まっていても、さっさと気持ちを切り替えて、違う世界へと先立たれていたとしたら、私だけ置いてきぼりのような寂しい気持ちが、日が経つごとに強くなりました。

そして私は、父の本心を知りたくなって、そこで父の母に対する憤りがあったことを知って、逆に安心したのです!

私は私だけが、父という人間をよく知っていて、血が繋がっているから、その“憤り”即ち“母への愛”だと理解できたから。

そして、勝手な解釈だけど、私がそれを知るまでは、どうしたって悲しみや寂しさが付きまとっていたけど、父が私に、その最後の気持ち、綺麗事だけじゃなくて、本当はもっと母といたかったのに、母に従ったばかりにこんな事になってしまった、という複雑な心情を、娘の私には言いたかったから、 ただそれを伝えるまでは、 “悲しさと寂しさ”という感情を通して、何か私にメッセージを送っていたのかもしれません。

父の気持ちを知った後は、あの時ほどの“悲しさと寂しさ”ではなくなったので、自分の本当の気持ちを、相手が理解してもらえれば、癒されたり、スッキリするというのは、亡くなった魂でも同じで、 それで生き返ることはなくても、ただ言いたかった、とか共感してもらえたら楽になって、次に気持ちが向くことができた。そこで、成仏できたのではないか?と思ったりしました。

これも確かめようがないので、天国で再会したら、答え合わせしょうと思います。
なので、もう電話鑑定の方に頼もうという、強い気持ちもなくなりました。

私は良くも悪くも天の邪鬼だから、成仏してると聞いて安心することも、怒ってるからって、気の毒だと思う訳ではなかったけど、(もちろん確かめようがないことをアレコレ言えませんが)一つだけ確かなことに気付きました。

今後、同じように大切な方を亡くして、悲しみのど真ん中にいらっしゃる方に、何て声をかけたらいいかわからないし、霊能者や占いに頼った方が良いとか、文章を書いてみたら良いとも言えないし、「私も一緒に泣きます」だなんて言いません。

ただ信じられることは、きっと、多分?いや、必ず“天の計らい”はあると思います。

今いる場所から、少しでも気が楽になる階段を、一段上れるようになる“何か”が。

父が亡くなってすぐ、宇多田ヒカルの歌は歌えないかったから(笑)、階段は一つ飛ばしじゃなくて、一段一段、自分の歩幅でゆっくりと…。