父の夢を見た後、本当はいないことを実感したら、余計悲しくなる
父と交信できるようになっても、それがもし本当にできていたとし
どうしたって、生き返ることはない。
これ以上、悲しみたくなくて、辛さを乗り越えたくて、父と交信し
…違う気がする。
いや、多分最初はそうだった。
会えなくたって、父と会話できれば悲しく、寂しくならないはず!
ソレとコレとは別なのだ。
魂になってしまった父は、母に対して憤りのような気持ちを持って
父も、もっと生きたかったから、もっと母と過ごしたかったからこ
全て“愛情”があるから。
だからこの“悲しみ”は仕方無い、と悲しみ続けるのも、何だか違
私は先日、朝起きた時、急に目眩と吐き気に襲われて、半日動けな
低血圧だから、年に2~3回ある一過性のものとして、あまり気にしていなかった
だけど、自分の頭の中の発想は、いつだって自由なんだから、自分
“死に様”(残された側からしたら、別れ方)は、誰にも決められ
ずっーと悲しんでいた方がいい時を経て、父との思い出で、あった
代わりになる人なんて、いないのだから。
三浦春馬さんのドラマ『僕のいた時間』の最終回のセリフで、
「生きているだけの状態で、僕が僕であり続けるにはどうしたらい
そうなった時に僕を支えてくれるのは、それまで生きた時間。
“僕のいた時間”なんじゃないかって。」
という言葉、三浦さんが亡くなった時も、この言葉を思い出しまし
そう、だから面識はないけど、勝手に“三浦さんのいた時間”を支
実は又数日後に父の夢を見たのだけど、それは、父は意識が無く、車椅子状態。
正に、三浦春馬さんの“僕のいた時間”のドラマのワンシーンのような。
夢の中では、母が一緒にいて、父の排泄介助をやっていた。でも、悲観するような雰囲気は全くなく、母はいつも通り父に話しかけて、変わった様子はなく、排泄介助も嫌な顔一つ見せず、当たり前のことのようにやっていた。
いつも通り、呑気で陽気な母のまま、父が受け答えできなくても、一方的に話しかけている姿は、父が生きていた時も、無口な父が、新聞を読んでる時や、野球を夢中で見ていて、母の話を聞いていなくても、お構い無しに話しかける母そのものだった。
意識が無くて、受け答えができなくても、耳だけは聞こえていることもある。
父が死にかけていた時も、母がいつも通り、明るく励ましてくれていた、と電話鑑定の人を通して知ったから、母のおしゃべりは、どんな状態の父にでも届いているはずなのだ。
もし、…もしも、父が即死ではなく、植物人間状態で生き残っていたら、きっとこんな感じになっていたのかもしれない。
私は、職場でそういう方々を見ていたから、お金も手もかかるから、と将来を悲観していたけど、実際父がそうなったら、本当に嫌な気持ちだけになるかどうかは、なってみないとわからない。
特に母は、良くも悪くも私の想像を越える人だから、母の価値観は計り知れない。
その夢を見た後、涙は出なかった。
「そうなんだ。お姉ちゃんもお父さんの夢見たって言ってたから、私だけまだ出てこないよ。
この間なんか、お話ししたいから、夢に出てきてよってお願いして寝たら、福山雅治が出てきちゃった(笑)」
「…それはそれで良かったね(笑)」
私は呆れながらも、母が母らしく戻ったことにホッとした。
大丈夫。母は強し!
【ニーバーの祈り】より
“神よ、変えることのできないものを、受け入れる心の平穏を与え
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと、変えるべきものを区別する賢さを与
自分に言い聞かせる為に、書きました。