『今更聞いても仕方ない事だとはわかっていますが…。
父はここ何年も食が細い状態だったので、昼食はとらずに、(私と
三人でランチする事はありましたが、そういう特別な時以外)、母に誘われても「自分はいい」と断る事が多く、母だけ食べるとかもあったみたいですが、亡くなったあの日はなぜか素直に母の誘いに従って、お蕎麦屋さんで、冷たいお蕎麦と天丼のセット(食が細い割にはボリュームがあるの)を注文したそうなんです。
それで海老の天婦羅を喉に詰まらせて窒息死だったのですが、母は今でも、あのお蕎麦屋さんに入る前に、時が巻き戻って、やり直せたら、もう少し父は生きる事が出来たんじゃないかと、(やや認知症はあったものの、身体自体は元気だったので)とても後悔していて、それは前回父にも聞いてもらって、寿命だったんだと、本人は後悔していないし、母を責めていないのはわかりましたが、母はあの時、実はそれ程すごーくお腹が空いていた訳でもなく、食いしん坊の母でそうだったので、食の細い父はきっともっとお腹が空いていないはずなのに、自分が誘ったから付き合ってあげようと、優しい父が自分に合わせてくれたんじゃないかと、やっぱりまだ誘った事を悔やんでいる所があります。
でも私は父は頑固でマイペースな面があるので、相手が母とはいえ、人に合わせて、無理矢理食べたりしない人なんじゃないかな?
本当に自分の意志で食べたいと思ってたんじゃないかな?と思うと、父は最後まで『食べたい』=『生きたい』と、“生”を全うしたのではないか?と、別の見方をしています。
説明が長くなってしまいましたが、父に聞いて欲しい事は、お蕎麦屋さんに入る前にどういう状態だったのか?
①本当にお腹が空いていて食べたかった。
②認知症もあったので、空腹でなくても(その感覚もわかりづらく)、自分の意志がなくなってきて、母にただ従っただけ。
③それほどお腹は空いていなかったけど、母に付き合おうと、母の意志を尊重した。
④同じくそれほどお腹は空いていなかったけど、お蕎麦や天丼は好物なので、“目”が食べたくなった。
私は、しっかりしていた時の父の印象が強いので、④だったんじゃないかと思いますが、認知症が進んでいたのも確かなので、③以外なら仕方ないというか、もし③だったとしても、母と一緒に過ごしたかった、母への愛が感じられて、どの答えでもいいのですが、③だとしたら、やはり母は自分のせいだと自己嫌悪になるかもなので、母にこの質問をした事自体、言わないでおこうと思います。』
↑
という内容を先にお伝えして、母と一緒にいる時に電話(母には聞こえないように)で答えを聞きました。
それは…
『お父様は、お母様に対して、両方の気持ちがあるそうです。
自分がお腹が空いていなかったのに、付き合ってお店に入って、こんな感じになってしまった憤りみたいな気持ち。
お母様も若い頃と違って、キビキビとしているというより、おっとりとした感じだから、お父様に対して、そこまで気遣いが出来ないんだと思うけど、自分が体調が優れない状態で入っちゃったというのに、お父様は気持ちが納得いかなかった。
その上で、お母様に対して心配しているという気持ちもある。』
↑
これを聞いて、私はすごくショックで…
自分なりに、父は亡くなる最後まで食欲があって、自分の意志で食べたい(生きたい)と思って、大好物を食べながら亡くなってしまったと思ったら、悲しいけど、誰のせいにする事もなく、後悔のない最後だと思いたかったのかもしれません。
でも実際は、お腹が空いていなかったけど、母に付き合って、こんな事になって、母が自分の体調に気遣いが出来ていなかった、と憤りを感じている…
だけど、母を責めたり、恨んだりしている訳ではないし、母ともっと一緒に過ごしたかった、生きたかった故に、納得いかない、無念さが残っている。
もちろん、母には伝えられないですし、 これを知った時は、確かにショックでしたが、よくよく考えてみると、父らしいな…とも思えてきました。
父は良くも悪くも、全て母任せで、任せてる癖に平気で文句を言います。
ただ、母も母で悪い所はいっぱいあります。
無神経でマイペースで、能天気で何も考えていないから、何か間違えても謝れば済むと思っている。
私は母のいい加減で、大雑把な所が大嫌いで、一年前も大きな喧嘩をしたことがあります。
この件に関しては、以前のブログでも書きました。
私の買った、高周波治療器(40万近い高額なのを知っていて)を貸して欲しいと言われたので、やり方や手入れの仕方を、付箋を貼って、丁寧に口頭でも教えたのに、中身がメチャクチャになって返って来たのです。
付属品の消毒液は入ってなかったし、粘着シートは髪の毛がくっついたままで、電源コードもぐっちゃぐちゃ、本体もひっくり返して入っていたので、人から借りた高額の物をそんな扱いにして返す人が、自分の母だと思ったら、腹立たしくも、恥ずかしくも思えて、怒りと悲しみで、母を叱責すると、しばらくはずっと謝っていた母が居直って、
「そんなに大切な物だったら、貸さなければ良かったじゃない!?私も借りなきゃ良かったわよ!」
と逆切れされました。
この事は父も知っていて、父からも「貸さなければ良かったんだよ」
と言われましたが、私は母が本当に反省しているように思えなかった事が余計腹立たしく、この人は無意識に人を傷付けていると、周りの人に同情する気持ちと、私はやっぱり離れて暮らして良かったと思いました。
だけど母の気遣いのできなさが、今回の父の死の件とは、重さが違い過ぎて一緒には出来ないし、もう父に謝ったり、父も母に思いをぶつけて喧嘩したり、二度と出来ないけど、私は母を責める気にもならないです。
それは、亡くなった当日は(病院で亡くなった訳ではないので、事故死扱いで)警察の事情徴収を母は受けて、認知症状が少しあったのに、一人で食べさせた事で、(殺人を)疑われたり、父が亡くなるのを目の前で見て、とても悲しんでいる母に、そんな尋問をされること自体、傷心の母には辛いはずで、母自身も、「もっと生きたかったと思うのに、私が殺したのも同然だ」とか、父からは「お前のせいだ!」と恨まれているかもしれない…と、私や周りの人がいくら「そんなことはない!」と慰めても、ずっと泣いていたので、(父は母を恨むまでは行っていないまでも)父の半分の気持ちは十分理解していて、自分の罪の重さもわかっていたし、誰にも責められなくても、自分を責める事で、罰を受けているのを見ていたから。
生前は、夫婦間で小さいことでも不満や怒りも、何でも言いたいことを言い合って、喧嘩しながらも仲良くやっていたそうなので、最後の最後にあの父が綺麗事や感謝だけしか言わないのは、おかしいと思ってるみたいなので、もう少し時が経ったら、母にも本当の事を伝えるかもしれません。(もちろん注意深く様子を見てから)
父も、今までは言いたいこと言い合ってきたのに、最後に本当の気持ちを、母が心配な故に伝えられないのは、どうなのかな?とも思います。
もちろん、言いたいことを言い合っても、生き返りませんが、怒りっぽい父を母は理解していて、父には怒られ慣れているのに、最後の最後に気を使わせたり、感謝だけというのも、本当の父の本心じゃないんじゃないかと、母は気付いている気がします。
私も父の本心を知りたかったから、私達を気遣った建前だけではなく、本当の父の気持ちを受け止めて、受け止めたからって生き返りませんが、もっと生きたかったからこそ、母に憤りを感じたり、残された母を心配するばかりに、本心をぶつけられない無念さ、それは私がよくわかったよ、とそれを伝えたいです。
いつも喧嘩しながらも、仲良くやっていったのに、最後だけ気を使った形で本心をぶつけられないなんて、何だかやるせない。
でももしいつか、天国で母に会った時には、思いっきり笑顔で「お前のせいだ(笑)!!」と、母に直接言って欲しい。
そしたら、母はきっと最初は謝り続けるけど、その内に居直って、
「入れ歯を外して食べる人の方が、自殺行為だ!!」
と言い返すでしょう。
確かに、食事する時に入れ歯を外して歯茎で噛んで食べるのは、入れ歯の本来の使い方と逆だし、ただでさえヘビースモーカーで、肺も悪いから、気管に入ったら危険でしかない。
いくら入れ歯に食べ物が詰まるのが気持ち悪いからって、その父の自己流の入れ歯の使い方を正さず、そのままにさせ続けた母も母だけど、頑固な父だから、言っても聞かなかったのでしょう。
母の肩を持つ気は全くないけど、明らかに身体に悪いタバコも偏食も、文句を言いながらも父の自由にさせて、ボケてきて道に迷うようになってきてからも、働く意欲のある父を尊重して、公園の掃除の送り迎えと、一緒に掃除を手伝ったり(二人分時給が出る訳じゃないのに)、ずっと支えてきました。
多分、あのまま父が生きて、認知症が重くなってきても、デイサービス等には預けずに、いろいろな健康法を試しながら、父の世話を母は嫌がらず一人でやっていったでしょう。
そう思えるのは、母の性格が『いい加減』で『無神経』で『天然ボケ』で『マイペース』だから、苦労を苦労と思わず、母なりのやり方で、ストレスを溜めずにやっていけると想像できます。
それは、問題児の姉(知的障害)の事も、 施設に入れたりせずに、 姉の唯一の理解者として、ずっと家で一緒に暮らしているのでわかります。
『細かい事を気にしない』という母の性質、だからこそ大きな子供のような大人達(姉と父)を自分一人で世話することも厭わない、それは良い方に働くと、懐が広く、悪い方に働くと、死に至ることもある、と私は知りました。
母は父に、いろいろな健康法を実践させていて、電位治療器で血流を良くしたりもしていたので、今まで嫌いだったお肉も食べられるようになったり、食欲も出てきていたらしく、道に迷わず、一人で帰れるようにもなり、元気になってきていると喜んでいた矢先でした。
だから、あの日の当日も、お昼御飯を食べる食欲も出てきたんだ!と、特に何の違和感もなかったらしく、揚げたてのカリカリ・サクサク、歯応えあるプリプリの海老の天婦羅を、入れ歯無しで食べることにも、全く注意は向かなかったらしい。
母にとって、父が入れ歯を外して食べる姿は見慣れていたし、ずっとそうさせていたから。
…だからって、母のせいには私はしたくない。
父は母のせいだと思っている面もあるみたいだけど、今までの“生き様”を見てきた私には、納得いくものでした。
父はいつだって母任せで、その癖、うまくいかないと文句を言う。
母は謝れば済むと思っていて、何も深く考えていないから、結局いつもその繰り返しで、喧嘩しながらも仲良かったが、今回だけは取り返しつかないことに…。
父に言いたいのは、どんな死も納得のいく死なんてない。あの時に、ああしていれば…と後悔するものなんだよ。
だから“死に様”は、誰にも選べない。
でも“生き様”は選べる!
もっと母が、父の身体を気遣って、しっかりしていれば…と思っても、そういうしっかりしていない母だったから、 いつだって父の意志を優先させて、(タバコや偏食、入れ歯の使い方のように) 間違っていようが、自由に好きなように、後悔ないようにさせてくれて、そのサポートをしてくれていた。長い長ーい間。50年間。
最後だって、変わらなかった。ただそれだけ。
母は、認知症の理解がなくて、これだけ身体に良いことをしているのだから、進んだりしてないだろうと、逆に良くなってきて、お腹が空くようになってきて、食べたかったんだと、単純に理解して、いつも父の意志を尊重する、そのスタンスで変わらなかった、それだけ。
私は、認知症という、病死だったんだと思う。
もちろん、お父さんも悪くないんだよ。
誰も悪くないよ。
…そう、言いたい!
そう心の中で思っていたら、フワッと心が軽くなるような、楽になるような気持ちになれました。
私は故人と話すような霊能力はなく、一方的に父に話しかけても、父が言いそうなことが浮かんでも、勝手な思い込みで自作自演かも?と、疑い深くて、実感がわかないのですが、この質問を霊能者の方にしたら、
『完全に答え合わせが出来てしまうと、それは死者の側のルールに反してしまいます。
ホッとするような、勇気がわくような、愛を感じるような、そんな“感情”が湧いたら、それは正しいメッセージであると判断することができます。』
“感情”がヒントになるというのは、そういった安心するような感情は、自分のハイヤーセルフと繋がっている時、らしいのです。
その日、亡くなってから初めて、父の夢を見て、夢の中で私は父に
「死んじゃったと思ってたよ!ナーンダ!生きてたんだね♪」
と言うと、父は無言で笑っていました。
もしかしたら、私のメッセージを受け取ってくれたのかな?と勝手に思うことにしました。
そして又、もしかしたらなのですが、今までずっと喪失感で、悲しくて虚しくて、辛かった時は、父の本心を知ることが出来なくて、スッキリしない気持ちだったから、父自身も、母に対して憤りの気持ちを持っていることは伝えられないし、それは則ち、もっと母と一緒に生きたかった!!という気持ちを、最後の本心を誰にも伝えられないまま、わかってもらえないまま旅立ってしまう未練のようなものが、血の繋がった私には伝わって、チャネリングできる人と会わせて、あの質問をさせたのかもしれません。
もちろん、そのチャネリングだって、本当に正しいかどうかは、本人に確かめない限り、わからない訳で(どこまでも疑い深い私です)、だけど確かなのは、ずっーと重かった心が、軽くなったので、又もしかしたらなのですが、父が無事成仏できたのかな?と思ったりもします。
父の夢を見て、目が覚めた後、やっぱりあれは夢で、父が亡くなったことは事実なんだとわかったら、久し振りに涙が出ました。
純粋に、悲しい。
納得したつもりになってても、実際会えないのは寂しい。
府に落ちるような感覚があれば、辛さは和らぐのかと思ったけど、事実が変わる訳ではないから…。
このままの気持ちのまま、生きていくのは辛いから、やはりたまにチャネリングしてもらって、父を感じたいと思います。
でもきっとその内、ちゃんと“飽きる”日が来ると思います。
“飽きる”って、ちょっと違うのかな?
もう十分、と思う時。
結局やはり、“時間”以外の特効薬はないのかもしれませんね。