この映画に出てくるフェチには共感できなくても、この手の人からは共感されない『欲』というか、好きなモノ・キライな(苦手な)モノが私にもある。


まず小さい子どもが苦手で、どう接したらいいかわからない。例えば動画や画像で、しかもものすごく顔がかわいい子限定であれば、観賞用には見ていられる。

だけど普通の造形の子どもや赤ちゃんに関して、「かわいい」とは思えない。


子どもが欲しいと思わなかったり、かわいいと思えない女性は少数派であり、LGBTQ並みにいやそれ以上に理解は得られない。

子どもがいないと言えば、「これから?」や「欲しいでしょ?寂しいでしょ?」なんて言われても返す言葉に困ってしまう。


好きなモノというか、好きなタイプの人は、昔から年の離れた男性だ。中学、高校の頃は、同級生や先輩の男子学生より、おじさん先生と話すことが好きだった。


大人になってからも実際に、29歳離れた男性、25歳離れた男性と付き合った経験がある。

これは、実の父親との関係がうまくいってなかったから、彼らに『理想の父』を求めていたのかもしれない。

それでも、恋愛の対象として親子ほどの年の差でも、私には違和感がなかった。


この映画を観て、そんな自分を肯定されたような気持ちになった。

でも別に認めてもらいたい訳ではない。


ただ同じような人もいる、共感はできなくても理解はできる、そう思った私のような人はきっといっぱいいるのではないかと、そう感じた。

そう感じさせただけでも、この作品が世に出た意味はものすごくある。




『almost people』という映画は、渋谷のユーロスペースでしか上映していないので、渋谷はゴミゴミしていて苦手だけど、母と二人で行った。


すると、小さな映画館だったので、エレベーターから降りた後も受付がわかりにくく、チケットを購入後にトイレに行くにも、トイレマークがオシャレ過ぎて小さくて見つけにくかった。


店員に訊くと、「あちらに表示が出ています」と手で案内されたが、私も母もメガネをかけていて目が悪い上に、母70代、私40代のおばあさん&オバサンだから、すぐわからなければ人に訊いてしまう年代。(人に寄るのでしょうけど)


ただでさえ初めての場所で、目と頭の回転が悪い年配者に、「いちいち訊かなくても見ればわかるでしょ」のような言い方をされて、気分が悪くなった。


エレベーターから出て来たときも、明らかに「どっちかな」と迷っているのだから、手を上げて「こちらへどうぞ」という一言案内があってもおかしくはない。受付にお客さんは誰もいないのに、見て見ぬふり。


私は、早速母に上記のことを言い、イラ立っていたら、母は「無愛想な店員だね」とは言っていたものの、それほど気にしている様子はなかった。


映画の内容は、喜怒哀楽のどれか一つが欠けている人のオムニバスだったが、母はもともと“怒り”の感情があまりない人だから、同じ出来事にあっても、私のように“怒り”を感じない。

映画は『もうすぐ人間』という意味だけど、“怒り”が欠けているほうが人間として生きやすいのではないか?


しかも、映画の解釈も私と母では違った。次男の話は、私は最後の次男の顔が「やっぱり“楽しい”って何だかわからない」という表情だったから、結局わかり合えず終わったんだと思った。

でも母は、最後のシーンで遠目からだが、次男の彼女が隣に来て終わったことで、「最後二人はうまくいったんじゃない?」と、描かれていない未来を想像して、ハッピーエンドとして受け取っていた。


母は以前見に行った『君たちはどう生きるか』も、「面白かった」と言っていた。私は正直よく理解できなかったから、楽しめなくて消化不良だった。

母はきっとすべて理解できていないものの、『絵』として楽しんだり、いろいろな俳優が声優をやっていたことなどで、物語としてじゃない部分を興味深く見ていたのではないかな?


渋谷のオシャレ系の小さな映画館では、若い人達または、映画好きでよく来ている常連さんばかりがお客さんだと、受付はすぐわかるし、トイレもいちいち訊かずに自力で探すのだろう。

私達みたいな高齢親子は場違いかもしれない。


私は自分がアウェイな場に行ったことと、自力で探さずにすぐ訊いてしまった自分のほうが悪かったと思った。

だから渋谷に行くことを避けるか、トイレは自力で探そうと思ったが、まったくそういったことを気にせず何も考えていない母がうらやましい。


母のほうが絶対得してる。

だけど、母のようになりたいとは思わない。

自然に感じてしまうものだから、なろうと思ってもなれないものだ。


次男の話のように、「私は楽しめない」と思っても、「私は楽しめる」という母が隣にいる。

わかり合えないから、別れるのではなく、わかり合えなくても『一緒にいる』のだ。

この瞬間にしかない景色


微妙に色を変えていく


目が離せないおねがい


早起きしないと会えない朝顔


仕事行く前にあわててパチリ🤳

三冊目の私の著作をご紹介いたします!



死に様=生き様!?: 私が死んだ父と向き合えるようになるまで



「いつ逝ってもいい」と話していた父が、ピンピンコロリで突然他界。所詮ドライな関係だと思っていたはずが、いざ亡くなったらふと父のことを思い出しては涙する日が続く。
「本当にそれで良かったの? そこに後悔はないの?」
 ……どうしたって、答えのない問いなのはわかっていたけど、どうしても死んでしまった父の気持ちが知りたくて頼ったのは信頼のできる占い師、そして複数の霊能者。さまざまな言葉をもらいながら、自分の中の答えを探していく。
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旅の喜怒哀楽以上“悟り”未満: 旅行を通して経験した感情をありったけ詰め込んだ写真付き短編集 あなたを90年代後半の海外へ誘います!


21歳から一人旅を始めた“私”。約2年間で18カ国を回って見えたのは、自分自身も知らない様々な感情たちでした。
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ずっと地に足がつかず、風の吹くまま気の向くまま身軽に旅をしていた私が、次第に哲学的な問いに対する答えを探すようになるまでの写真付きミニ旅行記。

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“オンナ”という性 : 自分を知りたい女性&女性を知りたい男性へ




男女兼任から女性専門へと転向した機能回復セラピストが考察する、女性/男性の性。
恋愛・死・性行為の3つにまつわる疑似体験を赤裸々に綴ることで、施術が受けられない読者の心のClose contact(濃厚接触)として、読んで楽しめる“施術の疑似体験”を目指しました。
男女のみならず、性別を持つすべての人に知って欲しい内容を詰め込んだ“性”の参考書です。
ブログでご好評いただいていた内容を加筆修正し、読みやすい一冊にしました!

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前回の『オジサン、劇団始めました』の前に『高野豆腐店の春』を見に行った。

この日は久々に、一日に二本映画を鑑賞した。昔子どもの頃は、二本立て・三本立てはよくあったのに、老眼の年代で見るものではないと痛感した。

眼精疲労はもちろん、帰宅後めまいと吐き気に襲われて大変だった滝汗ゲロー


好きな人や、時間のない人は一日に三~四本見るようなので、いったいどういう体をしているのか不思議。

大好きなYouTubeの『シネマサロン』に質問してみたら、次回の雑談コーナーで取り上げてくださるそうなので、楽しみラブ


それはともかく、『高野豆腐店の春』もだいたいの内容の見当はつくものの、予想通り泣かされた。

それも麻生久美子さんの演技がうまくて、最後感情移入してしまい、もらい泣き状態。


映画って、結局『なりたい感情』になるのが目的なのかな、と思った。

現実世界だと、よっぽどの劇的な事件や、何かしらがないと感動して泣くことはない。

親に泣きながら「ありがとう」と言うこともない。


それが映画の中では疑似体験として、登場人物に重ねて味わうことができるから、意図的に『ほっこり』したり、泣いたり、笑ったりさせてもらえる。


無表情・無感情で座って、スクリーンを見ているだけで、自動的に感情が変わるのだ。

そんなこと、書くまでもないことだけど、改めて映画の意味や目的を確認した。


私の文章も、無表情・無感情の人が読んで、読む前より良い表情・良い感情に変化できることを目指そうっとニヤリ


毎月映画を見ているのに感想は残していなかったので、自分のための備忘録としてほんの一言、超個人的な気持ちを残しておくことに。


いつも他人のレビューを読んで、自分の気持ちに近いものがあったときに「代わりに言語化してくれた!」とスッキリして終わりだった。

でも、執筆活動している身として、これでいいのだろうか?と。


たとえ誰にも響かなくても、最初の読者の自分にさえ響く内容であればそれで十分!……としよう。


さてこの『オジサン、劇団始めました』は、何となく内容の見当がつくものの、だからこそ見たい!と思ったのだ。

そして、その予想を裏切ることのない内容だったので、笑わされて泣かされた。

どうなるかわからないから見たい!ものもあればその逆も然り。


いつか忘れてしまうような内容ではあるけど、良かったところはたった一つ。

私は、主人公がずっと練習していた「愛してる」が、練習中下手過ぎて本番大丈夫か!?と心配していた。

しかし本番の舞台では、相手の役者を自分の奥さんに見立てて、感情を込めて「愛してる」を言った。

それがあまりにも、気持ちが込もっていて、そこに感動して自然と涙が流れた。


練習していた下手過ぎる「愛してる」を見ていたからこそ、『偽物』と『本物』の違いがくっきりわかった。


渡辺いっけいさん、下手な芝居もリアルに見せる芝居も上手くてスゴイ❗

この本物の(と思えるほどリアルな)「愛してる」という言葉を聞く、というか本物の「愛してる」を感じるためにわざわざ見に行ったようなものだった。






映画『マイエレメント』を観た。映画としての感想というより、超個人的に私だけに響いた点を書いておくことにする。

主人公のエンバーが、理不尽な客に対して怒りを抑えながら接客をしつつも、やはり耐えられなくなって激昂するところ。

最終的にはどう着地させるのだろうかと興味があったが、作品の中の客は本当にマナー違反で、いくらお客様は神様だと言い聞かせたところで、あまりに度を越えていたので、やはり怒って当然だと思った。

そこを接客業だからと、感情を押し殺して接するのは、このエンバーの気質ではないし、自分が彼女の立場になったらできないと、つい感情移入してしまった。


実はこの映画を観る前に、よく行くカフェでランチをしていたとき、私はお水のコップを倒してテーブルに水をこぼしてしまった。
そのときに、店主のおじさまに「ごめんなさい!」と何度も謝って、テーブルを拭いてもらったけど、ご主人は「いいよ。大丈夫だよ」などと言うことなく、黙々と拭いていた。奥様も出てきて拭いてくれたときに、同じように「ごめんなさい!」と謝ったら、「いえいえ」と言ってくれた。

もちろん100%私の不注意だし、手を煩わせておいて、「いいよ。大丈夫だよ」と言わせる気はないし、内心「おいおい、止めてくれよ~」だったのだろう。
だから、黙々と拭くことが精一杯の精神状態だったのはわかる。
しかし、普段はご主人とはよくしゃべる仲だし、逆に奥様とはほとんどしゃべったことがないのだけど、奥様に「いえいえ」と言われたときには少しだけほっとした。

もちろん奥様も内心は「もぉ~!」だったのかもしれないけど、建前上の「いえいえ」だったにしろ、何となくだけど救われたのだ。

この差は何だろうと思って考えてみた。
私もずっとリラクゼーション業界にいたから、接客業特有の『お客様は神様』みたいな感じで接していたことがある。
今は介護施設のマッサージとリハビリをしているので、心身がご病気のお年寄りからの理不尽な対応にも応じ慣れている。

しかし、自分が悪くなくても謝ったり、相手を立てていくことは“感情労働”だ。
エンバーやカフェの店主を見て、私も最近これができなくなってきていることに気づいた。

ご主人は、昔は航空自衛隊のパイロットで、その話をするときは目の輝きが違う。退職してからご夫婦でカフェをされているから、パイロット歴の方が長い。

自分の思うままにはならない接客業は、やはりキツいのではないか?
奥様の方が飲食業経験が長いから、客が水をこぼしたりするときの対応にはきっと慣れている。

私が、マッサージやリハビリだけではなく、臭いに耐えながらお年寄りの排泄介助をしたり、食べこぼしを拭いたりすることに抵抗があることに似ている。

話を戻すと、商品を買う前に手をつけるような非常識な客に怒るエンバーは正しいし、正当な感情だ。
もちろん接客業としては、客を不快にさせないように対応することがプロだけど、やはり割り切れるかどうかは、この仕事を好きかどうかなのだろう。

エンバーの創る作品はとても素敵だったので、自分の個性やセンスを出せるいいアーティストになって欲しい。

私も作家(自称)として、本を出版しているから、どんどん自分の感性を出しているうちに、自分の感情をコントロールする接客業ができなくなってきているのだ。

かといって、作家だけではやっていけないから、まだまだ感情労働はしないといけないが、本質の自分だけで生きてみたいと強く思った。
そんな作品だった。
道中、鮮やかな紫陽花と出会いましたおねがい



太秦映画村は、以前よりやや活気が少なかったけど、やはりどこ行っても修学旅行生達が盛り上げてくれていました!




米俵、持ってみましたが……


かなーり軽ーいので、演技力が必要滝汗

忍者がいます爆笑
本物だと思って、話しかける人もいるみたい
笑い泣き


最初行ったときは、時代劇好きの父向けの旅コースだったけど、映画好きの母も楽しめたし、


私も童心に返りました照れ

階段がいっぱいあったので、途中からはエレベーター探したりしてしまいましたが、やはり旅は若いうちだなぁ……とつくづく笑い泣き

旅行中、母と小さなことで度々喧嘩しました。しかし別れ際には、
「いろいろ言っちゃったけど、元気でいてくれればそれだけでいいんだからね!」
と言って、見送りました。
母には父と叔母の分も、これからの人生楽しんでもらわないとニヤリ