飲食店の人手不足 | なっちさんのブログ

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僕の飲食店歴の始まりは姉が短大生時代にバイトしていたステーキ店に大学入学直前の春休みに姉と入れ替わりでバイト始めた時。ステーキ店で1年弱バイトしたがその後ヘルプ要請が度々あり最後は大学4年の時もバイトした。

当時の店長はエリアマネージャーなど出世していくがその後千葉県の東葛エリアではバイトしていた店以外は閉店するなど縮小していき出世した店長は又元の店の店長をやっていた。

数年前はその店長はもういなかったが新人アルバイトがホールをやり店がうまく回ってないようだった。当時コロナ禍だったので人手不足が深刻に感じた。

車の営業マン時代にダブルワークでやっていたファミレスは最初あまりシフトに入れなかったが人手不足になると急に出番が増えた。

約2年半ダブルワークで働いた。そのファミレスのバイトがなかったらその後飲食店で働く事はなかったと思う。そうしたら現在の職業は違っていたかもしれない。

そのファミレスはコロナ禍で閉店した。近くにショッピングモールが出来たのも閉店に追い込まれた理由の1つかもしれない。その店に同時期に所属していたパートさんが子育ても落ち着き社員になり店長になり近隣の店舗で働いていて再会した。お互い覚えていた。

その後9年半勤務した中華料理店は常に人手不足。人手不足なのにバックレ退社する人がいたり店長が病気で倒れたり社員が大怪我したりバイク事故で入院したりと追い討ちをかける。

何度も会社のピンチを迎えた。その時僕は一番きつい店舗所属か一番きつい店舗にヘルプに行っていた。

ヘルプで無理やりシフトを組むがこのままでは休みが回らずさらに倒れる社員が出るという事態でやむを得ず定休日を作った時もあった。

その後焼肉店で9年勤務するが半年だけ中華料理店に復帰した。

中華料理店は元々地元千葉県に3店舗だった。都内にカウンターのラーメン店3店舗出店しチェーン展開を目指すが人手不足なのに無理やり店数増やしうまくいかず元の3店舗に戻る。

僕は焼肉店退職後半年だけ勤務して現在の居酒屋に転職した。その後店長が1人辞めて2店舗になった。

昨年ようやく新店舗開店し又3店舗になった。

新店舗に行ったら知ってるスタッフが二人いた。内1人は店が回らないからヘルプで来てると言っていた。

スマートニュースには地域の記事も流れてくる。中華料理店の新店舗のニュースもスマートニュースで知った。今度は無休営業に戻すとの記事が流れてきた。ようやく年中無休の元の状態に戻るようだ。人手不足が解消されてきたのかもしれない。

焼肉店在籍9年も人手不足には悩まされた。僕は主に深夜店舗だった。9年で5店舗に在籍したが最初の上野、次に3年在籍した錦糸町、3年半在籍し一番思い入れのある新宿のこの3店舗は全て閉店した。深夜営業で最後に残った1号店も閉店した。

上野にいた時、錦糸町は人手不足が深刻だった。僕と上野のバイト二人が錦糸町に異動して錦糸町の人手不足を解消させる事になった。

新たなバイトが入り人手不足が落ち着いた頃店長が変わった。先日ブログに書いたが経験豊富で仕事出来るがだらしなくいいかげんなO店長からバイトにやらせて自分は動かないのに自信家ですぐ調子に乗る細かいS店長に変わった。

半年後又O店長に戻った。

東日本大震災の後調理場の主力の中国人のバイトが一時的に中国に帰国しその時バイトを辞めた。

僕が上野から異動する前はO店長のお母さんが社員で働いていた。定年退職し別の店でパートしていた。別の店はO店長のお姉さんが店長だった。お姉さんの店ではシフトにあまり入れなかったので東日本大震災後O店長のお母さんは錦糸町でパートで働く事になった。

それから僕の立場はO店長の個人店で働いているような感じだった。

僕に仕事教えてくれた上野店の調理場チーフがバックレて僕は週一回上野店に行く事になった。

当時店長会議は上野店で開催されていた。夕方から営業開始の上野店でお昼から店長会議をやっていた。その日僕は週一回の上野店勤務の日。上野店に出勤すると会議してる部屋に顔を出して挨拶をした。

その時先に店に戻る1度も話した事ない店長とすれ違った。一度も話した事ない店長と挨拶した時何故か頑張って下さいと励まされた。

僕が調理場で仕事してると店長会議が終わった。

又別の店の店長がやって来て

なっち頑張れよ。何かあったら相談しろよ。

と又励まされた。

ただ週一回上野店にヘルプに来てるだけなのに何故次々に励まされるのだろう?

実は店長会議の時錦糸町のO店長と上野店の店長が話し合いをしていた。僕の上野店勤務を増やす話し合いをしていた。さらに専務と新宿店店長が加わった。新宿店も人手不足が深刻だった。

ところが社員でも深夜勤務を嫌がる社員がいてなかなか人事が難しかった。

O店長はお母さんの出番を増やしたい。それには僕の存在が邪魔。僕は上野店の経験があるので上野店勤務は問題ない。

新宿、上野、錦糸町で話し合った結果をO店長が僕に伝えにきた。

なっち来週から新宿店に異動。週一回上野店と錦糸町店にヘルプに来て。

あまりに唐突な話なので聞き直した。

1週間の内新宿店4日、上野店1日、錦糸町店1日、休み1日という3店舗勤務となった。

O店長の個人店状態の錦糸町から離れたかったのでそれは良いが3店舗は想定外。

新宿店はアルバイトも手薄。僕の休みと上野勤務、錦糸町勤務をつなげて新宿は4日連続勤務のシフトだった。

ところが新宿に出勤すると仕込みが全く出来てない。仕込みしたくてもそもそも発注されてない。僕は考え方変えて4日の間に1週間の発注と仕込みをやる位の気持ちで仕事した。アルバイトも積極的に採用して鍛えようとした。

新宿は12月に売上がはね上がる。

夏頃採用した3人の中国人のバイト達を12月までに1人前にして12月の宴会シーズンを乗り切るつもりでいた。

ところが突然ランチ店舗に異動。上野、錦糸町のヘルプもなくなり1店舗に専念する事になる。

新宿で頑張るつもりでいたのに拍子抜けした。

気持ちを切り替えてランチ店舗で頑張るつもりでいたが新宿店が人手不足との情報が入る。

どうやら僕と入れ替わりで新宿店に異動した社員が厳しいというよりいじめのような接し方でバイトがどんどん辞めているようだ。

半年後僕と入れ替わりで新宿店に異動した社員が辞めるとなった。

会社は当然新宿店の後任を検討する。ただ深夜店舗は嫌がる社員が多い。ずっと深夜店舗勤務で深夜店舗を嫌がらない、半年ほど新宿店の経験のある僕がランチ店舗にいる。

僕自身も予想していたが新宿店に異動の話がきた。

前任者は専務や総料理長にはゴマする。出来るバイトには優しく接する。店長不在で本部長が責任者、本部長を敵対視していた。新人バイトやおとなしいバイト達にはいじめのような接し方と理解出来ない様子だったようだ。それで人がどんどん辞めていき使えないバイトばかりと文句を言い他店にヘルプ要請する。意味がわからない。僕がランチ店舗にいた半年で9人のバイトが辞めた。

大ベテランの中国人のバイトを中心に入ったばかりの中国人のバイト、他店から移籍した中国人のバイト、他店から移籍した日本人のバイトを中心に僕はバイトが辞めない店にしようと決めた。

ホールの日本人のバイトが遠慮がちに賄い食べて良いですか?と聞いてくる。長時間勤務の休憩時間なんだから遠慮する必要ないのに何故だろう?と思っていたら前任者にお前が賄い食べるのは許さないと言われていたそうだ。

深夜は日本人のフリーターが入ったがディナーは他店から移籍した日本人以外は全て中国人だった。日本語があまり出来ない人、丁寧だけど仕事遅い人、そこそこ速いけど雑な人色々いた。

本部長に代わりようやく専任の店長が来たて思ったが1年位で辞めて又本部長が店長代行になった。

新宿店は2階、3階が客席で4階が調理場という店の構造。だから調理場とホールは分かれていた。たまに店にくる本部長がシフトを作るのは難しかった。他店から移籍した日本人のバイトが社員になりホール担当になった。

僕がホールめ含めてシフトを作るようになった。その為には時々ホールの様子を見に行く。ホールともコミュニケーションをまめに取る。

調理場には新たにスリランカ人、ベトナム人が加わり多国籍な店になった。

僕は遅番なのに早めに行って仕込みしようと新宿に向かっていると早番の中国人のバイトから遅刻の連絡。そのまま僕が開店準備。僕がシフト通り出勤していたら店開けられなかった。

別の日はホールの早番が来ないのでやむを得ず僕がホールの開店準備して結局早めに行っても仕込み出来ないは当たり前だった。

さらに他店の店長の休みを回す為に新宿店からヘルプを出していた。僕かホールの社員がヘルプに行っていた。

この新宿店の3年半は思い入れがあり印象的だった。他店のヘルプやホールのフォロー、店長不在による本来店長がやる事務仕事などで僕の負担が増える結果としてメインの仕事である調理場の食材管理がおろそかになりショッピングモール店に異動になった。

ただ僕が抜けた事で新宿店の食材管理はさらに悪化し総料理長が新宿を見る事になった。

ずっと深夜店舗勤務だった僕は会社で一番忙しい食べ放題のショッピングモール店は僕には合わなかった。人間関係もうまくいかない人がいた。結局謎の発作が度々出た。心療内科に行くと適応障害と診断された。会社に報告すると異動を検討してくれたが度々話が流れた。適応障害の発作が頻繁に発症しこのままショッピングモール店にいたら倒れると思い退職した。

新宿又は他の店舗に異動していたら今も焼肉店にいたと思う。

ちなみに新宿店はコロナ禍で長い間休業し営業再開しても人手不足で深夜営業が出来なかった。家賃の高い歌舞伎町で短い営業時間では採算が合わず閉店したようだ。


今現在は焼肉居酒屋のフランチャイズ店でT店てN店。T店所属だが時々N店にヘルプに行く。

昨年の夏まではベテランのフリーターがいてT店、N店両方で活躍していたが就職で辞めた。

高校卒業しても就職決まらずフリーターとして19歳のAちゃんが週6勤務で頑張っていた。

2月店は暇なので社長からバイトの人件費削れと業務命令が出た。

当然Aちゃんのシフトも削られる。Aちゃんは親からバイトではなく就職を勧められていた。うちの店のシフト削られたら生活が苦しい。

彼女は就職活動すると言って急に来なくなった。

ギリギリの人数なのに週6のバイトが来ないではさらにピンチ。

まあ中華料理店、焼肉店の時と違い休みなしで働く事はない。

ギリギリながら何とか人をやりくりして乗り切る。

僕はさんざん人手不足を経験してるし病欠した事ないのでこの程度では音を上げない。

中華料理店は僕が辞めた後新人が色々な店にヘルプに行く僕の役目になったがすぐ辞めた。

売上あるのに人手不足で閉店に追い込まれる店もある。

人材確保は飲食店にとってかなり重要だ。