全然すごくなくても

何もできなくても

 

等身大の自分で

今すぐ幸せを感じられる

 

今の連続が未来を創る

 

 



 

私が壮絶な人生を通して

大切なものと引き換えに得てきた

大切なものです。

 

 

 

小さな頃のわたしは

おとなしくて

聞き分けがよくて

優等生で

親を困らせることなんかしない

とってもお利口さんな子供でした。

 

 

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その反面、兄は中学になった頃、

グレて警察に何度も呼ばれ、

親戚に白い目で見られるような

いわゆる、親を困らせる子供でした。

 

 

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『初孫で長男』

 

 

兄は兄で、

いろんなものを

背負っていただろうけど

わたしからしたら

良くも悪くも目立っていて

あんなに迷惑かけても

祖父母やみんなに愛されて

羨ましかった。

 

 

 

私はどんなに頑張っても

誰からも見てもらえない

そんな気がした幼少期でした。

 

 

 

いつからか

自分を守るために自分で

書き換えたものがあります。

 

 

 

『わたしには誰も興味ないし

誰にも見てもらえないから

自由にできる!めちゃラッキー』

 

 

 

わたしは友達に恵まれて

埋まらない愛を

そこで埋めていきました。

 

 

 

わたしには

こんなに素晴らしい友達がいる!

(これは人生で1番自慢できるところ)

 

 

 

だけど、ねじ伏せた感情は

徐々に拗らせていきました。

 

 

 

根底にこびりついた

『わたしは認めてもらえない』

感情が暴れ始めるのです。

 

 

 

『認めてもらうための行動』を

無意識に取り始めていきました。

 

 

 

それは2007年9月

最愛の父の死から始まります。

 

 

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父が突然死をして、

兄がうつ病になることで、

わたしが認められる

絶好のチャンスが訪れます。

(思っても願ってもないけどね)

 

 

 

兄の看病をせっせとして

兄のお金の工面までして

わたしこんなに頑張ってる。

 

 

 

それなのに、実際には

わたしの頑張りは

表に全く出ないのです。

(なぜなら兄の病気を隠していたから)

 

 

 

お金の工面をしているのは、わたしなのに

祖父母の家に久しぶりに行った兄だけが

大金のお小遣いをもらっていた。。。

 

 

 

でも、病気の兄に何も言えず

わたしは悶々としていました。

 

 

 

8年闘病して

2016年1月

お正月が明けてすぐに

兄は亡くなりました。

 

 

 

兄の家を片付けていたら、

わたしや母から

「むしり取ったお金」や

「人に借りたお金」で

(のちにわたしが返済することになる)

最新のカメラやゲーム、ギターや家電など

たくさん揃えていました。

 

 

 

わたしの人生なんだと思ってるの?

だんだん腹が立ってきました。

 

 

 

ひたすらがむしゃらに

ただただ生きていて欲しかったから

黙ってやってきたこの苦労。

裏切られた気分でした。

 


 

誰にも知られていないことが

悔しく思えてきました。

 

 


挙げ句の果てには

今度は母が白血病に。

2017年11月のことでした。

 

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またお金の工面と看病の日々。

 

 

もはや、何のために

生まれてきたのかも

よくわからなくなっていました。

 

 

母に心配かけないように

明るく振る舞うけど、

母の看病と治療費の工面、

子供達や家のこと

わたしの心はボロボロでした。

 


 

2017年12月24日

母の病院から帰る時

広島の市内を走る市電が

電飾でキラキラしていて

サンタさんに変装した運転手さんが

手を振ってくれました。

 

 



家に帰ると子供たちはもう寝ていて、

世の中はクリスマスなのに

うちの子たちは

ケーキも食べれなかったんだ。

 

 

 


買って帰ったクリスマスケーキを

涙ぐみながら食べました。

 

 



わたし、こんな思いをするために

生まれてきたんじゃないんだよな

 

 

 

そう思えたことが

自分の人生を本気で変える

きっかけになりました。

 

 


 

わたしは自分のこの本音を

採用することにしました。

 

 

 

 

わたしは幸せになるために

生まれてきたんだ。

自分を幸せにすることだけを

一生懸命頑張ることにしました。

 

 

 

その2へ続く】