今夜、母が可愛がっていた白文鳥のピピちゃんが亡くなった。

↓独り言…母を亡くして19より再掲
平成17年12月6日、熱帯魚のことで両親と行ったペットショップに、たまたま一匹だけ白文鳥が残っていた。母は渋っていたが、私はいつもの如く、遊びたい時だけ遊んで世話は母に任せるつもりで(私はこの頃働いていたため)、半ば強引に買ってしまった。

母はどの文鳥も愛情込めて世話をした。常に声をかけ、真冬の水浴びはドライヤーで乾かしたほど。
先代のピピちゃんは「ピピちゃん」と言えたっけ。

だから、どの文鳥も母をパートナーとし、私が遊んでても母の気配を感じたら一目散に飛んでいってしまう。
母はよく「一寸の虫にも五分の魂」(どんな弱小なものにも、それ相応の意地や考えがあって、ばかにしてはいけないということのたとえ)と言ってたな…。

母の亡き後、しばらく経って私はピピちゃんのパートナーになれた。これからも母の分まで可愛がってあげなければ…。

・・・・・・

今朝から、ピピちゃんはとても具合が悪そうだった。巣にこもって、目は閉じたまま、口をパクパクさせていた。目の縁もクチバシの色も蒼白に近かった。

今日様子を見ようと思ったが、悪くなる一方なので夕方病院に連れていったら、危篤状態で今晩がヤマだと告げられた。

入院させるか、自宅で看取ってあげるべきか…悩んだが、少しでも苦しさを軽減させてあげられたら、と思い入院させた。

いつ病院から電話がかかってくるか、ドキドキしながら自宅待機していた。母が危篤だった時を思い出さずにはいられなかった。

かかってこないことを祈ったが…結局、逝ってしまった。

あんなに小さい存在だったけれど、やはり悲しくて寂しくて泣けてくる。母が亡くなった後、悲しみを癒してくれた…母の生きた忘れ形見だったピピちゃん…。

今は愛用していた巣に入れて母の仏前に安置してある。母がピピちゃんを迎えに来てくれますように…。

ピピちゃん、今まで一緒に居てくれてありがとう。楽しかった時を与えてくれてありがとう。いつか、また会えますように…。


母と遊んでいるピピちゃん
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夏になると思い出す。2年前のあの夏を。

8月初旬、その日空咳を一日中していた母。私は風邪かと思い、薬を飲んで寝るように言ったと思う。翌日の朝も、母の空咳は一向に治まる気配はなかったので、見かねた私は「病院に行こう」と説得したが何故か乗り気でない母。

そこへ父が起きてきたから、父にも母を病院へ連れていく、と言ったら、父と母は顔を見合わせ、母が「内緒にしておこうと思ったけど…」と。何?と聞いたら「母さん、癌なんだよ…」。

いつもの平和な食卓の空気が一変した。背筋が凍り付くような死の宣告。どの癌になってしまっても恐ろしい、けれど母を巣食った癌は致死率が高い癌であることをおぼろげに知っていた私は、絶望の淵に立たされた。

癌は本当に恐ろしく、残酷な病気だ。末期になるまでは症状をおくびにも出さず、じわじわと侵食していく…。
母は既に手術は不可能、抗がん剤治療しか残っていなかった。

引き返すことができない、死の階段を上がり始めた母…。階下でなす術もなく、母を見ているだけしかできなかった私。

辛くて苦しい思いがよぎる8月を再び迎えている…。



教えてgooより引用

Sundysky
両親を亡くした喪失感
10年前に養父を、4年半前に最愛の養母(以下、母)を無くした37歳女性です。既婚で夫婦2人の生活です。
母が亡くなってから結婚したのですが、ずっと心の奥が寂しく、プライベートでも仕事でもだんだん主人とも人とも話すことがうまくできなくなってきました。
「母を失った喪失感、心の芯から愛している人を失った悲しみ」からまったく立ち直っていない自分に気がついたのは最近のことです。
「つらい、でも喪失感なんてない、自分でがんばるしかない!」と本当の自分を封印してきたのだと思います。
よく「大切な人を失った悲しみから立ち直れない」と聞いたりしてはいましたが本当にひとごとだと思っていました。なんて思いやりがなかったことか・・・
こんなに深い深い海みたいな穴が心に空いてしまうことをいうのですね。
父母の実子兄弟も母が亡くなってからあきらかに私に対する態度が変わってしまいました。父母を送る、誰でも通る道とはわかっているのですが、皆さんがどのようにして自分を励まし、心の穴を認めて生きていっているのか教えて頂ければとうれしいです。
ここを卒業しないと「あんなに大切に自分を育ててくれた父母に赤ちゃんを抱かせてあげられないけれど責任をもって子供を産む」ことさえできない人間で終わってしまいそうです。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。


↓レス
kysp1124
私も数年前に母を見送りました。癌でした。主人が期限無しで里帰りを承諾してくれたので、最期まで自分の手で看護させてもらいました。
あれからもう3年になりますが、あの頃のことを少しでも思い出すと心がズキンと痛みます。 自衛本能が働くせいか、当時の記憶へ辿り着く前にバサッと記憶のページを閉じている自分がいます。
「もう苦しまなくていい」「よく看病してもらってお母さんは幸せ者」「あの世でまた元気にしてるよ」など、一通りの慰めをいくら聞いても気持なんて晴れません。亡くなったのは雪の日。もう雪は嫌いになりました。
病死、特に癌は、身体の臓器が少しずつ少しずつ店じまいをしていきます。枯れていく母を目の前に何も出来なかった自分の無力を責めたりもしました。 
でも何とか毎日生活が続けられるのは、この悲しみを母に味合わせなくて済んだからです。私が先に死んでいたら、母はどれだけ悲しむことか・・。順番どおりの親が亡くなってもこれだけ辛いんです。子供に先立たれたりしたら母は気が狂ったかも知れません。そう考えたら、どうせ誰かが悲しみに叩かれなくてはならないのなら、それが私でよかった・・と。
あと、もう一つ。親を亡くしたこと、そして最期の看病のせつない記憶は、いくら時間が経っても、それこそ自分が死ぬ瞬間まで絶対に「懐かしい思い出になる」なんて有り得ません。時間が経てば悲しいことに慣れるだけ。悲しい記憶が楽しいものに変わることはないと思います。
それを自覚したことで、無理に悲しさを消し去る必要がないと気付き、「いいじゃない、一生悲しくても」と思い、私は楽になりました。
助けになるかは分かりませんが、私の経験を書きました。頑張ってください。 



先日、蓋をしていた母が危篤になった数日間を思い出してしまった。できる限り付き添っていたけれど、苦しむ姿が脳裏に焼き付いて離れず、号泣…。

母が亡くなって一年…、
母が玄関を開けて入ってくる気がしなくなった
母が暖簾をあげて台所に入ってくる気がしなくなった
母が居間で新聞を読んでいる気がしなくなった
母がベランダで洗濯物を干している気がしなくなった
母が二階にあがってくる気がしなくなった…

こうやって段々と母が居なくなったことに慣らさられてきているんだろうな…。でも、その分喪失感は深まるばかり。暗黒の海に日々墜ちていく…。