久しぶりに母の夢を見た。

夢の中で、私の目の前に居る母を見て、亡くなってしまったのにどうして?と思いつつ、嬉しくて後ろから抱きしめた。

目覚めてから、やはり悲しくて泣けて仕方なかった。

私は、母が健康だった頃、やはり後ろから抱きしめてはポッコリ出たお腹を触って、「これは5ヶ月かな~」と言っていた。

もう一度抱きしめて、母の温もりを感じたいよ!

叶わぬ思いで胸が苦しくなる。

母さん、情けない娘がここに居るよ…。


我が家に来て約8年になる白文鳥のピピちゃん(♀)。

我が家は昔から猫や犬は飼わせてもらえず、その代わりにインコや文鳥は飼わせてもらえた。

ピピちゃんが来る半年前に、先代のピピちゃん(♂)が亡くなってから、母は悲しいからもう飼いたくないと言っていた。

でも、熱帯魚のことで両親と行ったペットショップに、たまたま一匹だけ白文鳥が残っていた。母は渋っていたが、私はいつもの如く、遊びたい時だけ遊んで世話は母に任せるつもりで(私はこの頃働いていたため)、半ば強引に買ってしまった。

母はどの文鳥も愛情込めて世話をした。常に声をかけ、真冬の水浴びはドライヤーで乾かしたほど。
先代のピピちゃんは「ピピちゃん」と言えたっけ。

だから、どの文鳥も母をパートナーとし、私が遊んでても母の気配を感じたら一目散に飛んでいってしまう。
母はよく「一寸の虫にも五分の魂」(どんな弱小なものにも、それ相応の意地や考えがあって、ばかにしてはいけないということのたとえ)と言ってたな…。

母は今のピピちゃんが亡くなったらもう飼わないよ、と言っていた。
私も母もピピちゃんより先に母が亡くなるとは夢にも思わなかった。

母の亡き後、しばらく経って私はピピちゃんのパートナーになれた。これからも母の分まで可愛がってあげなければ…。



母の手のひらにいるピピちゃん
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雲一つない快晴が目に写っても、「こんなにいい天気なのに、どうしてここに母が居ないのだろう」と思い、侘しくなる。

前の私は夜更かしが好きで、父も母も寝静まった時分に、お茶を飲みながらテレビを観たり、ネットサーフィンをしたりして、のんびり過ごしていた。

でも、今は深夜が辛い。ヒタヒタと悲しみがやってくる。眠れなくてトイレに行くにしても、母の寝室の前を通らなければならない。何度部屋を見ても、暗がりのひっそり静まり返った部屋…。ここからもう二度と母の寝息が聞こえてくることはない。
そして、前はトイレに行くとたまに明かりが付いていて、ドアが半開きになっていた。わざと覗きこむと、便座に座った母がきょとんとした顔でこちらを見た。母を廊下で待ちながら、「何で夜中にかち合うかな~」とブツブツ言ってた。これから母とかち合うことは二度とない。

この、どうにもならない大きな悲しみを抱えてこれからも生きていかなきゃならない…悲しみは時間が経てば、形を変えたり、薄らいで行くのかもしれない。
でも、母が居なくなった、ポカンと空いた空間から生じる喪失感や孤独感からは、一生解放されそうもない。母に代わるものは無いのだから…。