先日菅野のドラフトの件でフォロワーさんとの間で話題になりましたので、今回は長野のドラフトについて考えてみたいと思います。

 

皆さんご存知の通り長野は2009年のドラフト1位でジャイアンツに入団した訳ですが、それまで二度、他球団の指名を断っている事もご存知かと思います。

そこで私なりにその流れを独断と偏見で紐解いていきます。

 

2006年大学社会人ドラフト日本ハム4位指名

この年のドラフトは高校生と大学社会人の分離ドラフトで開催日時も別日で行われた。高校生はいわゆるマー君世代で張本人の田中将大が楽天に指名された年でもある。

高校生の1位指名重複は入札→クジ、大学社会人には希望獲得枠がありいずれもその権利の使用不使用によって2位指名の有無があるなど非常に分かりにくいドラフトであった。その年に日本大学4年の長野は日ハムから4位指名を受ける訳だが、ご存知の通り入団を拒否しHONDAに入社する事になる。

ここで一つ目の注目点。4位指名ではあるが希望枠等の関係で2位指名が全く無かったため実質3巡目であり、3位指名以降はウエーバーとなるため全体では何番目だったのかを考えてみる。(希望枠と1位指名は本来別だがここでは希望枠と1位指名は同列とする)

希望枠10名、1位指名1名の計11名が1巡目(ロッテは希望枠なし1位指名の権利なし)。以後3位指名は横浜からウエーバーとなり日ハムは最後の12番目だった。そして日ハムが折り返した4位指名の1番目(全体で24番目)でやっと長野は日ハムから指名を受けるのである。そこまで指名を受けなかった為、この年の長野は全体で11名+12名の計23名よりも評価は低かったいう事になる。また高校生は別指名だったのでもしこの年現在のドラフト制度で行われたとして考えると、長野はもっと下位指名だった可能性は高いと推測される。ちなみにジャイアンツの3位指名はウエーバーの5番目でNTT東日本の左腕上野を指名し、希望枠では同じ左腕の金刃を獲得しているので同じタイプの投手を上位で指名する結果となった。この事から見てもジャイアンツは長野にさほど興味がなかったか即戦力の外野手として必要ではなかったと思わざるを得ない。しかし2006年は言わずと知れた第二次原政権発足の年、開幕からのロケットスタートも由伸、慎之助など主力の怪我で失速し終わってみればBクラス。清水に尚広、4年目の矢野と2年目の亀井などが外野手のスタメンに名を連ねたが決して外野手の層が厚かったと言える状況ではなかった。事実翌年、2007年オフのドラフトでは4位指名(3巡目)で外野手の加治前を指名している。そのことを考えてみてもBクラスという屈辱を味わい、覇権奪還に燃える翌2007年のチーム編成には、長野の名前は挙がっていなかったと考えるほうが妥当だろう。そして長野は指名漏れで社会人に行くのではなく、リスクの方が大きいプロ入り拒否という選択をして社会人に進むのである。そして皮肉にもこの年、育成で松本哲也が入団する。

※次のドラフトまで、高卒→社会人は3年間、大卒→社会人は2年間を要す。

 

余談:この年の高校生1位は坂本で、もし長野がジャイアンツから指名を受けていればこの二人はドラフト同期だった事になる。もう一つ付け加えると坂本は堂上の外れ1位であり、なおかつ外れ1位指名はウエーバーだった為、ジャイアンツよりも先に指名権があった横浜かオリックスが坂本を指名していれば現在の坂本はなかったことになる。坂本は1位指名の入札でも、外れ1位でも名前が挙がらなかったという、ジャイアンツにしてみれば奇跡に近い幸運で坂本を獲得できたことになり、現在の活躍を考えると坂本はジャイアンツに入団する運命、または宿命だったと思えるほどである。そこには当時の担当スカウト大森剛氏の強い進言がなければ決して叶わなかった「ジャイアンツの坂本」だったのは言うまでもない。

そして坂本の代名詞といえば登場曲のキセキ。この巡り合わせも偶然と呼ぶには余りにも出来すぎたストーリーに改めて坂本のスター性を感じざるを得ないのである。

 

さて次回は2年後のドラフト。再び長野はプロ入りを拒否することになるのだが.......。