9月に入っていた。
暑さは、少しだけ和らいでいた。
それでも、昼間はまだ夏のままだった。
悟は、源さんの店で作業をしていた。
洗濯機を拭く。
冷蔵庫を並べる。
雑巾を洗う。
いつもと同じ。
でも。
どこか、違っていた。
(……軽か)
身体が、軽い。
呼吸も、楽だった。
昨日のことが、まだ残っている。
(……なんやったとやろ、あれ)
源さんの腕。
あの温かさ。
思い出すと、
胸の奥が、少しだけ落ち着いた。
ガラガラ、と音がして、
引き戸が開いた。
悟は、顔を上げた。
見慣れない男が立っていた。
ラフな格好。
でも、どこか整っている。
空気が、違った。
「源いるか〜?」
男は、店の中を見渡しながら言った。
声は軽い。
でも。
(……なんや、これ)
悟は、少しだけ息を止めた。
その男の周りに、
何かがある。
重くはない。
でも、強い。
「こんにちは」
悟は、慌てて近づいた。
「源さんは、いま配達に行っています」
男は、ゆっくり悟を見た。
その視線が、まっすぐだった。
(……見られとる)
一瞬で、そう感じた。
男は、少しだけ目を細めた。
そして。
「ああ、……君か」
ぽつりと、言った。
悟は、固まった。
(おい?)
「よお——」
そこまで言いかけた瞬間。
ぺちん、と音がした。
タオルが、男の頭に当たった。
「痛っ」
「おう、来るなら来ると連絡しろ」
源さんだった。
いつの間にか、後ろに立っていた。
悟は、はっとして頭を下げた。
「おかえりなさい」
源さんは、軽くうなずいた。
それから、男の肩をつかんだ。
「ちょっと来い」
「え、ちょ——」
男は文句を言いかけたが、
そのまま引っ張られて外に出た。
引き戸が閉まる。
店の中が、静かになった。
悟は、その場に立っていた。
(……なんや、今の)
さっきの男。
あの視線。
「よお?」
(誰や)
見たことは、ない。
でも。
(……知っとる気がする)
胸の奥が、わずかにざわついた。
怖くはない。
でも。
落ち着かない。
悟は、しばらくその場に立っていた。
それから、ゆっくり動き出した。
雑巾を手に取る。
洗う。
絞る。
干す。
いつもと同じ作業。
でも、頭の中は違っていた。
(誰や)
(どこで)
(いつ)
考えてみる。
でも、出てこない。
雑巾を干し終えた。
空を見上げる。
夕方が近づいていた。
少しだけ、風が涼しくなっている。
でも、胸の奥はまだざわついていた。
(……なんや、あれ)
理由は分からない。
胸の奥が、少しだけ、ざわついたままだった。
悟は、店の中に戻った。
(第二十五話へ)
