出会いは奇跡のようなもの
「人は一生のうちに出会う人の数が決まっているのか?」
もう随分前、私がまだ師匠にいろいろ質問をしていた頃のことです。
その日は、師匠であり優愛の創設者である大先生が『鬼平犯科帳』をご覧になっていました。
私はふと、こんな質問をしてみたのです。
「実際に、同じ小舟に一度だけ乗り合わせた人とでも、縁があるのでしょうか?」
師匠はこう答えました。
「そうだなあ、同じ舟に一回だけ同乗した人が、前の嫁さんだったりすることだってあるかもしれない。
出会いは奇跡みたいなもので、その人との会話は、さらにその上の奇跡だ。
友達や伴侶になるのは、長い輪廻転生を考えれば、もっと大きな奇跡かもしれない。
だから、大切だと思える相手は大切にしなさい。まあ、どうしようもない相手なら、無碍にしてもいいけどな。」
なるほど、と思いました。
現代ならば、たまたま同じコンビニで会計をしてもらう人も縁かもしれません。
あるいは、同じバスに乗った人が、もしかすると大切な存在になる可能性だってゼロではないのです。
運命の人、という言葉があまり好きではない理由
「運命の人」という言葉がありますが、私はあまり好きではありません。
なぜなら、運命は待つものではなく、自分で切り開いていくものだと思うからです。
運に頼っているだけでは、つかめないものがたくさんあるからです。
出会いの数は決まっているのか?
さて、先日、改めて同じ質問をいただきました。
「人は一生涯に出会う人の数が決まっているのでしょうか?」
そのときは明確に答えることができませんでしたが、あれから数日、考え続けています。
人は人との関わりの中で、傷つくこともある。
でも、人との関わりの中でしか学べないことも、やっぱりあるのです。
野犬の群れから学んだこと
先日、テレビ番組『坂上どうぶつ王国』を見ていて印象に残ったことがあります。
人が手をつけられないほど荒れてしまった野犬でも、犬の群れの中に入れると、不思議と変わっていくという話でした。
やはり犬には犬との関わりが必要であり、人間には人間との関わりが大事なのだと強く思いました。
私の答え
だから、私はこう考えます。
「人が一生涯に出会う人の数は、決まってはいない」
ただし、関わりを深めようとするなら時間が必要です。
学び合い、楽しみ合い、励まし合うには、どうしても時間がかかる。
だから、ただ「出会う」ということだけを考えれば無限。
けれど「深く関わる」となると、自分の意志と行動次第で広がる世界なのだと思います。
現代にはインターネットという道具もあります。
このブログもそうですが、一方通行に見えても、誰かの心に触れることがある。
だから私は、人との出会いは決まってなどいないと信じています。
みなさんはどう思いますか?
あなたにとって「出会い」とは何でしょうか?
「決められた数の中で巡り合っている」のでしょうか。
それとも「無限に広がる可能性の中で出会っている」のでしょうか。
ぜひ、コメント欄であなたの考えを聞かせてください。
もし共感していただけたら、SNSでシェアしていただけると嬉しいです。
出会いは、もしかするとこの記事を通じた“あなたとのつながり”から始まっているのかもしれません。
シックスセンス管理人
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