「天平時代に一世を風靡。今は幻となった無言仮面舞踏劇、伎楽(ぎがく)。正倉院に収蔵されている面と装束が復元。」(家庭画報2007、11月号)・・・正倉院御物はもともと672年に倭国が滅んだ後、倭国から収奪されたもの。(米田史学)
騎馬民族系だと言われている大和王朝のものとは全く思えない。これこそが、日本の祖の装束なのでは?東大寺大仏殿そのものが、九州倭国の小倉山から移設された建築。米田良三先生がご存命なら何と仰るだろうか。・・・
伎楽の装束、紋様に装飾古墳の文様との類似点はないだろうか。装飾古墳は倭国のものであり、磐井の乱で倭国王、磐井一族が殺された後、その死者を弔うために作られた古墳だという。
米田史学によれば、能も倭国が発祥だという。伎楽という無言仮面舞踏劇の装束や仮面について、調べていけば、次々と日本の色々なことが分かってきて、米田史学がより補強されていくような気がしている。
(家庭画報2007、11月号)より
装飾古墳