米田良三、米田史学とは何か | 6rosui8のブログ

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米田良三氏は述べている。「1988年7月に全体の構図が見えた時、その悲劇を書こうと思ったことに始まる。・・・常識というのは不思議なもので、異なった見え方の存在すら気づかせない。しかし異なった見方を知った時、人は変化を止めることはできないであろう。」

 

米田氏がいう悲劇とは、最高度に栄えていた国家が、滅ぼされ、その歴史文化が盗まれ、抹消されてしまったことだろう。そのことは、多くの日本人は全く知らないことである。悲劇はまだ続いているのだ。

 

だから米田史学は常識への挑戦となる。これほど常識をぶち壊す日本古代学はないだろう。歴史、文化、文学、考古学、地学、科学に及ぶ日本古代全てが塗り替えられる(教科書は全て書き直しになる)が、歴史文化が生き生きと蘇ってくるから不思議だ。

 

米田良三氏の4部作の再読を今日終えた。米田氏が見せた世界の広がりは、日本列島の成り立ちから、日本国家の成り立ち、日本文化とは何かに及び、そこに見事に完結して説明する一つの世界を作っている。学問の面白さとその沃野を皆に教えてくれていると思う。

 

《東アジアで最高度に栄えていた国家、九州倭国は663年、仕組まれた白村江の戦いで新羅、唐軍に敗れ、その後8年間唐軍の九州進駐を許した。その間、唐軍に多くの財宝、文化財が略奪され、山東半島を経て中国本土に持ち去られた。

 

その後、壬申の乱672で大和朝廷に滅ぼされ、国家制度や法制度、残された文化財が大和に移された。法隆寺、東大寺、薬師寺、長谷寺、三十三間堂などは九州倭国から移築されたものである。正倉院御物、万葉集や源氏物語、古今集、小倉百人一首など、そして阿弥陀信仰も九州倭国のものである。》

 

(米田氏の著作は最初の4部作のあと、私家版で4冊出版されている)