法隆寺は607年、薬師寺東塔は534年が創建で、いずれも九州からの移築。
薬師寺東塔は法隆寺よりも70年以上古く、世界最古の木造建築である。フェノロサによって「凍れる音楽」と形容された東塔は、倭国王倭薈(いわい)の死去した聖地の(鎮魂の)塔だった。建築は当時の倭国の文化レベルの高さを示すものでもある。
法隆寺は7世紀後半の再建ということになっているが、実際は607年に九州の太宰府観世音寺として創建されたもの。壬申の乱で倭国が滅んだのちに、大和朝廷が戦利品として、その伽藍を解体して現在の斑鳩の地に運び、710年ごろ移築された。
薬師寺東塔は534年に九州の宇佐市の小倉山の聖地整備のときに建てられた。その後、倭国滅亡後、解体され大和に運ばれ、移築された。移築された現在の薬師寺東塔の建立は730年である。
《小倉山は倭国王倭薈(いわい)が大和朝廷軍との戦いによって亡くなった聖地(いわゆる磐井の乱531年)》