ども!知らない間に読者が増え、さらにコメントもいただいてるにも関わらず、放置しっぱなしですいません。先日、オクで落として買い換えたばかりのPCが早速いかれてしまいまして、超無気力になってしまいました。
出来る限り更新したいと思いますので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
さて、先日、あるコミュニティーの中で、こんな問題で熱い議論を交わしていました。
東1局東家 5巡目
(456)三四五22白白發發中 ツモ中 ドラ2 三元牌はこの時点では1枚も見えていないものとする。
何を切る?と言う問題です。この中で皆さん、熱いdebateを繰り広げてました。この手が大三元になる確率は何%とか、他家が三元牌を持ち持ちで持ってる確率は何%とか、見ててすごいなぁと思いましたね。
この中で多かった意見としては、三元牌のどれかを切る、というもので、フリーでは赤の祝儀と言うものもあり、親のハネ満という打点を考慮すれば、ま、そうなのかなと思ったりもする。
その際、やっぱり三元牌は、目立つように対子間を離さず、続けて切るのがネゴシエイトですね。さすれば、三元牌が死角となり、三元牌が1つ哭けた時の、片側の三元牌は超死角になるんでないかと思ったりもする。
うん、なるほどなるほど…
しかし、問題もあると思う。中をなぜ置いていたのか?置いていたのに切ってしまうのは一貫性にかけるとも思うし、じゃぁ、三元牌のどれを切るのかという話にもなる。その辺は運任せというところか。
そんなことよりも…
これって本音なんだろうか?やっぱり、心のどこかで、大三元あがりたいと思ってないだろうか?三元牌3つが対子になって、心は躍らないんだろうか?おいらはすごくその辺りに昨今の麻雀事情の闇を感じてしまうわけなんですよ。
18000と言う点数の大きさは理解してるし、麻雀とは役満を上がるゲームじゃないということもわかる。この手が大三元になりづらいという事もわかってはいる。赤牌の重要性も。
しかし、それでもおいらは、ヌルいのを承知でも面子を払っていきたい。そういう打ち手でいつづけたいと思っている。
麻雀を覚えた時、その牌の並びの美しさに感動した自分。特に役満となると、すごく異彩の輝きのように思った自分を忘れちゃいけないように思う。
おそらくは、大三元はあがれないと思う。でも、その心の踊りこそ、麻雀の醍醐味だと思っているから。
そんな雀士でいつづけたいと思わせてくれた問題でした。ま、三元牌切ったほうがいいんでしょうけどね。